妙玉寺
妙玉寺 | |
---|---|
所在地 | 佐賀県佐賀市本庄町鹿子104番地 |
山号 | 大宝山 |
宗派 | 日蓮宗 |
創建年 | 1570年(元亀元年) |
開基 | 石井石見守新左衛門尉忠次 |
別称 | 追腹の寺 |
法人番号 | 5300005000869 |
妙玉寺(みょうぎょくじ)は、佐賀県佐賀市本庄町鹿子にある日蓮宗の仏教寺院。山号は大宝山(だいほうざん)。佐賀藩主鍋島家の藩祖以来の外戚家門で、代々重臣をつとめた石井家の菩提寺の一つであり、とくに石井家の一門である横岳鍋島家、深堀鍋島家(いずれも佐賀藩家老家)の菩提寺として知られ、住持職も石井家がつとめている。境内には、深堀鍋島家初代鍋島茂賢(石井孫六)と殉死した家臣、配下の侍18人の墓があり、俗に「追腹の寺」ともいわれている。旧本山は佐賀観照院。親師法縁。
歴史
永禄6年(1565年)6月、肥前国三根郡中野城の戦いで戦死した龍造寺家の重臣石井石見守新左衛門尉忠次・源次郎忠修父子の菩提を弔うため、元亀元年(1570年)、開山に隆性院日就上人を招き、創建された。元来、当山は、忠次の父・石見守忠繁が開いた浄円寺の一角に建てられ、後に独立したものである。
源次郎は、龍造寺隆信の信頼が厚く、御馬廻衆をつとめた。源次郎は、陣中で隆信を守護する屈強の武者として敵味方にその名を知られ、『北肥戦誌』には「無双の荒武者」四将の一人と表現されている。そのため、隆信は源次郎の死をとくに惜しみ、当山の開創を強く望んだとされる。
また、源次郎に継嗣無きことを憐れんで、源次郎の甥・石井新五左衛門尉常永に、源次郎の祭祀と名跡の継承を命じたという。当山も実際には、常永が創建したものと考えられる。
なお、山号寺号はいずれも、忠次の次男石井安芸守信忠の妻の戒名「大宝院殿妙玉日伝大姉」にちなんで、大宝山妙玉寺と号する。
信忠・大宝院夫妻の長男鍋島主水佑茂里(石井茂里、佐賀藩祖鍋島直茂の婿養子)、次男鍋島安芸守茂賢(石井孫六、深堀茂賢)も当山に帰依している。
鍋島直茂の養女となり、龍造寺高房の正室として入輿した瑞光院は茂里の長女であった。瑞光院は、乱心した高房に殺害され、程なく高房も死去したが、罪なき娘を理不尽に殺された側の石井一族が反発。瑞光院を高房と同じ墓に埋葬することを拒絶し、当初、瑞光院は当山に葬られた。後年、藩命により、高房の菩提寺天佑寺に改葬されている。
史蹟
寺宝
- 佐賀藩第2代藩主鍋島光茂の土地寄進のお墨付き
旧末寺
日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
交通
- JR長崎本線佐賀駅よりバスで30分