コンテンツにスキップ

左小娥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。下北ソフィア (会話 | 投稿記録) による 2022年2月23日 (水) 05:35個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:漢の追封皇后を除去; Category:漢の追尊皇后を追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

左 小娥(さ しょうが、? - 106年以前)は、後漢安帝の母で、清河王劉慶の側室。皇后に追尊された。小娥はである。

生涯

犍為郡の人。容貌すぐれ、文賦をよくした。叔父の左聖が妖言の罪で処刑されたため、左小娥は姉の左大娥と共に後宮に入った。和帝が宮女を親王に賜うこととしたとき、和帝の兄の清河王劉慶の側室となった。寵愛を受けて、子の劉祜(後の安帝)を産んだ。

延平元年(106年)以前に死去した。同年に安帝が即位すると、孝徳皇后と贈号され追尊された。

参考文献