コンテンツにスキップ

橋本辰二郎 (貴族院議員)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。曾禰越後守 (会話 | 投稿記録) による 2022年1月25日 (火) 11:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (カテゴリ調整)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

橋本辰二郎

橋本 辰二郎(はしもと たつじろう、1868年6月30日(明治元年5月11日[1])- 1951年昭和26年)4月12日[2])は、明治末から昭和前期の実業家政治家貴族院多額納税者議員

経歴

豊前国、のちの大分県で橋本建平の二男として生まれる[1][3]。1885年(明治18年)3月、伯父橋本雄造の養子となった[1][3]専修学校(現専修大学) を修了し[2][3]、1911年(明治44年)家督を相続した[1][3]

1906年(明治39年)以降、長崎商業会議所会頭、橋本汽船社長、福洋汽船社長、橋本商事社長、山下コークス社長、日本タイプライター社長、九州汽船社長、長崎製鉄社長、長崎県商工経済会会頭などを務めた[1][2][3][4]

政界では長崎市会議員に選出された[2]。1914年(大正3年)長崎県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され[4][5]、同年3月2日[5][6]から1925年(大正14年)9月28日まで2期在任[2]。さらに、1932年(昭和7年)にも貴族院議員に互選され[4]、同年9月29日[7][8]から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで、研究会に所属して活動し通算4期在任した[2]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』は67頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』216頁。
  3. ^ a b c d e 『長崎県人事興信録』64頁。
  4. ^ a b c 『長崎県大百科事典』701頁。
  5. ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、23頁。橋本を森本と誤植。
  6. ^ 『官報』第476号、大正3年3月3日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、42頁。
  8. ^ 『官報』第1727号、昭和7年9月30日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 長崎日日新聞社編『長崎県人事興信録 1935版』長崎日日新聞社、1934年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『長崎県大百科事典』長崎新聞社、1984年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。