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ラハム・ミフラーン

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ラハム・ミフラーンは、ミフラーン家の出身のサーサーン朝の武官。ホルミズド3世ペーローズ1世ヤズデギルド2世の後継者争いで言及されている。ラハムは弟子であるペーローズ1世の支持者であり、後継者争いで重要な役割を果たし、ホルミズド3世の軍隊を打ち負かして、ペーローズ1世を新しいサーサーン朝のシャーとして戴冠した。

脚注

  • Pourshariati, Parvaneh (2008). Decline and Fall of the Sasanian Empire: The Sasanian-Parthian Confederacy and the Arab Conquest of Iran. London and New York: I.B. Tauris. ISBN 978-1-84511-645-3. https://books.google.com/books?id=I-xtAAAAMAAJ 
  • Shahbazi, A. Shapur (2004). "Hormozd III". Encyclopaedia Iranica, Vol. XII, Fasc. 5. pp. 465–466. {{cite encyclopedia}}: 引数|ref=harvは不正です。 (説明)