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王 逢時(おう ほうじ、? - 紀元前12年)は、前漢後期の人物。字は季卿。魏郡元城県委粟里の出身。
王禁の子で、成帝の生母の皇太后王氏(王政君)、及び成帝の執政(大将軍)となった王鳳の異母弟。河平2年(紀元前27年)に兄4人(王譚・王商・王立・王根)と共に列侯(高平侯)に封ぜられ、「五侯」と呼ばれた。
兄たちは朝廷の要職を占めたが、王逢時だけは能力に見るべきものが無かった。元延元年(紀元前12年)に死亡し、戴侯と諡された。子の王買之が高平侯を継いだが、王莽が滅ぶと断絶した。
- 班固著『漢書』巻18 外戚恩沢侯表、巻98 元后伝
- 下線は大司馬に就任した人物。
- 網掛けは王莽によって処刑または賜死された人物。