平帝(へいてい)は、前漢の第13代皇帝。元帝の孫にあたる。
元延5年(前8年)、父の中山孝王劉興(中国語版)(元帝の末子)の死去にともない2歳で爵位を継承した。元寿2年(前1年)、従兄の哀帝の死去にともない、皇帝の璽綬を董賢から奪った王莽らによって9歳で皇帝に即位した。即位当初から王莽ら王一族が権力を握った。母の衛姫や衛氏一族は長安に入れなかったが、王莽の長男の王宇やその夫人の兄の呂寛らは、このことがのちのち禍根となることを恐れて、衛氏が長安に入れるように働きかけた。そのことが王莽の怒りを買い、平帝の母の兄弟にあたる衛宝・衛玄ら衛氏一族を(衛姫を除いて)ことごとく誅殺し、王宇や呂寛も衛氏一族とともに殺した。
元始4年(4年)に王莽の娘が皇后に立てられた。元始5年(5年)14歳の時、未央宮に於いて王莽に因り毒殺され崩御した。『漢書』平帝紀注によると、王莽が臘日に献上した酒に毒を盛り殺したという。
前漢の第13代皇帝(前1年 - 5年) |
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