森脇直樹
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森脇 直樹(もりわき なおき、嘉永3年11月6日(1850年12月9日) - 明治22年(1889年)7月29日)は土佐勤王党同志、自由民権運動家、実業家。別名:
森脇唯二郎(唯次郎)、森脇惟一。
森脇直道の二男として生まれる。立志社創立発起人。明治10年(1877年)愛国社再興取調委員、翌年の愛国社再興大会に参加、引き続き大阪に駐在して愛国社の事務を担当した。明治12年(1879年)愛国社第三回大会の決定を受け国会開設運動拡張のため、九州を遊説。明治13年(1880年)から発行された愛国社機関紙「愛国志林」の編集・庶務に携わった。同年国会期成同盟結成大会に参加、「国会を開設する弁可を上願する書」には稲荷新地、広岡町、小高坂村200名の総代として名を連ねた。さらに自由党結成同盟約にも参画。明治14年(1881年)高知に帰り立志社遊説員(乙組)、修立社社長、立志社憲法草稿審査委員を務め、翌年には海南自由党創立委員に選出された。 その後、活動の場を再び県外に移し、自由党常議員、大阪セメント会社社長に就任した。明治22年(1889年)7月29日、大阪で病没。40歳。墓は高知市筆山。
参考文献
- 『高知県人名事典』高知新聞社 1999年
- 外崎光広『土佐の自由民権』高知市民図書館 1984年
- 高田祐介『明治維新「志士」像の形成と歴史意識』佛教大学歴史学部 2012年