コンテンツにスキップ

カーメル・マイヤーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2021年3月8日 (月) 11:26; SeitenBot (会話 | 投稿記録) による版 (Botによる: {{Normdaten}}を追加)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
カーメル・マイヤーズ
Carmel Myers
Carmel Myers
生年月日 (1899-04-04) 1899年4月4日
没年月日 (1980-11-09) 1980年11月9日(81歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロスアンゼルス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
民族 ユダヤ人
職業 女優
ジャンル サイレント映画トーキーテレビ映画
活動期間 1915年 - 1976年
配偶者 イジドア・コーンブラム 離婚
ラルフ・H・ブラム 離婚
アルフレッド・シュワルバーグ 死別
著名な家族 ザイオン・マイヤーズ
マーク・サンドリッチ 従弟
ラルフ・ブラム 長男
ラルフ・H・ブラムとの間にほか2児
受賞
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム
テンプレートを表示

カーメル・マイヤーズCarmel Myers, 1899年4月4日 - 1980年11月9日)は、アメリカ合衆国女優である[1]

人物・来歴

[編集]

1899年(明治32年)4月4日カリフォルニア州サンフランシスコに生まれる[1]ラビである父はオーストラリアからの、母はオーストリアからの移民で、1歳年長の兄にのちの映画監督ザイオン・マイヤーズがおり、2歳年少の従弟にのちの映画監督のマーク・サンドリッチがいる[1]

満16歳になる1915年(大正4年)、ベッシー・ラヴコンスタンス・タルマッジとともに Georgia Pearce に出演したのが、もっとも古い映画出演の記録である[1]。1916年(大正5年)、L-KO・カンパニーが量産する短編映画に数本出演した後、D・W・グリフィスのファイン・アーツ・フィルムに入社、大作の『イントレランス』や、ポール・パウエルチェスター・ワージーらが監督する短篇映画に出演する[1]

1917年(大正6年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍、前年に同社傘下に設立されたブルーバード映画で、同年、ハリー・ソルター監督、ケネス・ハーラン主演の『』に出演、その後、ジョージ・シーグマン監督の『知らぬ妻』、ソルター監督の『磯打つ波』、スチュアート・ペイトン監督の The Girl in the Dark, 『紫の園』、『偽の結婚』、ジョセフ・ド・グラス監督の『情の国歌』、エルシー・ジェーン・ウィルソン監督の『涙の街』や『夢の女』、ポール・パウエル監督の『社交界の花形』、『終夜』、『夫は誰?』、『孤島の娘』と、1919年(大正8年)春のブルーバード映画最末期まで、立て続けに主演作を連打[1]、そのほとんどすべてが日本でも公開された[2]。同年7月16日、イジドア・コーンブラムと結婚する[1]

1921年(大正10年)、ユニヴァーサルを退社、小プロダクション作品に引き続き主演し、1923年(大正12年)には夫コーンブラムと離婚する[1]。翌1924年(大正13年)、3社が合併して設立されたメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに入社する[1]

1928年(昭和3年)から始まる初期のトーキーにも積極的に出演し、1929年(昭和4年)6月9日、ラルフ・H・ブラムと再婚する[1]。1934年(昭和9年)の The Countess of Monte Cristo に出演した以降は、しばらく家庭に入る[1]

1942年(昭和17年)、リパブリック・ピクチャーズ製作、リー・ジェイソン監督の『或る夜の貴婦人』の脇に出演して、映画界に復帰する[1]

夫ブラムとはのちの脚本家のラルフ・ブラムほか3児をもうけたが、1950年(昭和25年)に離婚する[1]。翌1951年(昭和26年)6月26日に放映を開始したテレビ映画シリーズ The Carmel Myers Show のホスト役を務める[1]。同年10月、アルフレッド・シュワルバーグと再々婚する[1]。1952年(昭和27年)の The Carmel Myers Show が放映を終了、1953年(昭和28年)にテレビ映画 Studio One in Hollywood の1挿話に出演した以降は、映画界・テレビ界を退く[1]

1974年(昭和49年)、夫シュワルバーグと死別、翌1975年(昭和50年)からふたたびテレビ映画に出演し、映画『名犬ウォン・トン・トン』にも出演している[1]。同作が最後の出演作となった[1]

1980年(昭和55年)11月9日、カリフォルニア州ロスアンゼルス市で心臓発作により死去した[1]。満81歳没。同州イースト・ロサンゼルスにあるホーム・オヴ・ピース墓地に眠る[3]。ハリウッドのヴァイン街1751番地にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を刻む[1]

おもなフィルモグラフィ

[編集]

すべて出演作である[1]

1910年代

[編集]

1920年代

[編集]

1930年代

[編集]

1940年代

[編集]

1950年代 / 1970年代

[編集]

関連事項

[編集]

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u Carmel Myers, Internet Movie Database (英語), 2010年6月18日閲覧。
  2. ^ 『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.
  3. ^ Carmel Myers, Find A Grave (英語), 2010年6月18日閲覧。

外部リンク

[編集]