橘貞根
表示
時代 | 平安時代初期 - 前期 |
---|---|
生誕 | 弘仁7年(816年) |
死没 | 貞観15年8月28日(873年9月23日) |
官位 | 従四位上・弾正大弼 |
主君 | 嵯峨上皇→仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 橘氏 |
父母 | 父:橘宗嗣 |
橘 貞根(たちばな の さだね)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。越中守・橘宗嗣の子。官位は従四位上・弾正大弼。
経歴
[編集]左京出身。幼い頃から嵯峨上皇の身近に仕え、非常な恩寵を蒙った。承和5年(838年)抜擢されて従五位下に叙爵される。承和10年(843年)中務少輔次いで侍従に任ぜられ、翌承和11年(844年)従五位上に昇叙される。嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位後、安芸守に任ぜられるが遙任であった。
天安2年(858年)清和天皇の即位に伴い正五位下に昇叙されると、清和朝では貞観6年(864年)従四位下、貞観11年(869年)従四位上と累進した。またこの間右京大夫・弾正大弼と京官を務めた。
貞観15年(873年)8月28日卒去。享年58。最終官位は従四位上行弾正大弼。
人物
[編集]鬢髯(もみあげから顎にかけての髭)が美しく。身長は五尺(約150cm)しかなかったが、腰回りが非常に大きかった。才学はなかったが、嵯峨上皇の寵遇を受けたことと、仁明天皇の外戚であったことにより、ある程度の昇進を遂げたという[1]。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 承和5年(838年) 6月21日:従五位下
- 承和10年(843年) 6月28日:中務少輔。9月16日:侍従
- 承和11年(844年) 3月27日:従五位上
- 嘉祥3年(850年) 5月17日:安芸守(遙任)
- 天安2年(858年) 11月7日:正五位下
- 貞観3年(861年) 6月17日:右京大夫
- 貞観6年(864年) 正月7日:従四位下
- 貞観11年(869年) 正月7日:従四位上
- 貞観15年(873年) 日付不詳:弾正大弼。8月28日:卒去(従四位上行弾正大弼)