コンテンツにスキップ

鉛套弾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。111.64.2.13 (会話) による 2012年10月11日 (木) 03:26個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

鉛套弾(えんとうだん)は、弾丸の一種で、弾丸の外周をで覆ったものである。柔らかい鉛の被膜にライフリングが食い込むことで、弾丸に回転を与え、ジャイロ効果により弾道が安定する。

歴史

鉛套弾は、後装式ライフル砲とともに生まれた。1846年スウェーデン人の男爵ワーレンドルフが考案した。プロシアフランス、スウェーデンで試験された。結果はあまりよくなかったが、プロシアは改良を加え、再試験ではきわめて良い結果を得た。ほとんど同時にイギリスでも新式火砲に採用した。1863年文久3年)イギリス艦船の鹿児島砲撃(薩英戦争)、翌年の下関戦争で使用された弾丸は鉛套弾であった。

日本では1864年元治元年)佐賀藩が十二封度砲用鉛套弾を購入したのが最初である。明治維新以来、購入したブロドウェル山砲、式八糎野砲、式二吋半、同十二斤、同九糎野砲などの弾丸は鉛套式であった。

鉛套弾は与えられる旋動が不確実で、弾丸の軌道は整正を欠き、鉛套が弾体破片に粘着し、飛散を妨げ、弾丸の威力を損じるという欠点があった。そのため、次第にすたれていった。日本では明治10年銅帯式弾丸が採用されるとともに廃止された。

構造

鉛套の構造は円壔式と帯条式とがある。前者は弾丸の円壔部の全部に鉛套を装し、後者は弾丸左円壔部のほぼ全部に鉛套を施し、表面に数条の凸条をそなえる。

鉛套地金は硬度を加えるために鉛と錫の合金であった。