1973年リチャード・ニクソン大統領就任式

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リチャード・ニクソンの2回目の大統領就任式
日付1973年1月20日 (51年前) (1973-01-20)
場所ワシントンD.C.
アメリカ合衆国議会議事堂
主催者アメリカ合衆国議会就任式典合同委員会英語版
関係者リチャード・ニクソン
第37代アメリカ合衆国大統領
— 就任者

スピロ・アグニュー
第39代アメリカ合衆国副大統領
— 就任者

ウォーレン・E・バーガー英語版
アメリカ合衆国最高裁判所長官
— 宣誓挙行者

第37代アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンの2回目の就任式は、1973年1月20日土曜日にワシントンD.C.アメリカ合衆国議会議事堂のイーストポルティコで行われた。これは47回目となる大統領就任式であり、大統領のリチャード・ニクソンと副大統領スピロ・アグニューの2期目の始まりとなった。ニクソンとアグニューは共にこれから2年以内に辞職することとなった。1973年12月にジェラルド・フォードがアグニューに代わって副大統領に就任し、さらにその翌年にはニクソンに代わって大統領に就任した。ニクソンは2024年4月14日時点でアメリカ合衆国大統領及び副大統領の就任宣誓をそれぞれ2度行った唯一の人物である。大統領の就任宣誓及び副大統領の就任宣誓は共に最高裁判所長官ウォーレン・E・バーガー英語版が執り行った[1]。就任式中はハンク・フォート英語版が作曲し、ニクソンに捧げられた曲「Look With Pride On Our Flag」が流された[2]

就任祝賀祭[編集]

就任祝賀祭は当日夜にケネディ・センターのコンサートホールで行われた。フィラデルフィア管弦楽団のユージン・オーマンディの指揮でベートーヴェンの「交響曲第5番」、コープランドの「市民のためのファンファーレ」、チャイコフスキー序曲『1812年』といったクラシック曲が演奏された[3]

リンドン・B・ジョンソンの死[編集]

ハリー・S・トルーマン第33代大統領の死から約4週間後かつニクソンの就任から2日後の1月22日、前大統領のリンドン・B・ジョンソン心筋梗塞により64歳で亡くなった。ジョンソンはこれによりジョージ・ワシントンジョン・アダムズ政権下の1799年没)、ジェームズ・K・ポークザカリー・テイラー政権下の1849年没)、アンドリュー・ジョンソンユリシーズ・S・グラント政権下の1875年没)、チェスター・A・アーサー(第1次グロバー・クリーブランド政権下の1886年没)、カルビン・クーリッジハーバート・フーヴァー政権下の1933年没)に続いて史上6人目となる後任の政権下中に死亡した元大統領となった。軍就任委員会英語版が10日間のうちに計画していた催しの多くはジョンソンの国葬のために中止された[4]

就任式に参加した多くの軍人が国葬にも参列した[4]。ジョンソンの遺体は議事堂の端から端までを移動し、上院翼から入ってロタンダに運ばれて下院翼から出たが、これはイーストフロントの階段が工事中であったためである[5]

参考文献[編集]

  1. ^ 47TH INAUGURAL CEREMONIES”. United States Senate. 2021年6月15日閲覧。
  2. ^ “Eleanor H. Fort, Composer, Dead”. The Daily Times (Salisbury, Maryland): p. 48. (1973年1月14日). https://www.newspapers.com/image/39751860/?terms=%22Hank%2BFort%22 2015年12月25日閲覧。  オープンアクセス
  3. ^ A Tale of Two Concerts” (英語). The American Scholar (2017年1月19日). 2019年8月12日閲覧。
  4. ^ a b Elsen, William A. (1973年1月25日). “Ceremonial Group Had Busy 5 Weeks”. The Washington Post: p. D3 
  5. ^ Foley, Thomas (1973年1月25日). “Thousands in Washington Brave Cold to Say Goodbye to Johnson”. The Los Angeles Times: p. A1 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]