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鹿伏兎定長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
鹿伏兎定長
時代 戦国時代
別名 近江守
官位 左京佐
主君 関盛信
氏族 鹿伏兎氏
父母 鹿伏兎定好
兄弟 鹿伏兎定住
鹿伏兎宗心鹿伏兎定義鹿伏兎定保
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鹿伏兎 定長(かぶと さだなが、生没年不詳 )は戦国時代武将関盛信の家臣。鈴鹿郡加太城主 [1]

略歴

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天文7年(1538年)、三男の定保を伴って奄芸郡東部を平定した。永禄10年(1567年)の信長による北伊勢侵攻では関盛信関盛重らと共に信長に抵抗した[2]

参考文献

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  • 『鈴鹿郡野史』(柴田厚二郎 、1927年、32p)

脚注

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  1. ^ 柴田厚二郎 1927, p. 32.
  2. ^ 戦国武将録”. 2022年9月10日閲覧。 [出典無効]

外部リンク

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