鹿伏兎定長
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時代 | 戦国時代 |
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別名 | 近江守 |
官位 | 左京佐 |
主君 | 関盛信 |
氏族 | 鹿伏兎氏 |
父母 | 鹿伏兎定好 |
兄弟 | 鹿伏兎定住 |
子 | 鹿伏兎宗心、鹿伏兎定義、鹿伏兎定保 |
鹿伏兎 定長(かぶと さだなが、生没年不詳 )は戦国時代 の武将。関盛信の家臣。鈴鹿郡加太城主 [1]。
略歴
[編集]天文7年(1538年)、三男の定保を伴って奄芸郡東部を平定した。永禄10年(1567年)の信長による北伊勢侵攻では関盛信、関盛重らと共に信長に抵抗した[2]。
参考文献
[編集]- 『鈴鹿郡野史』(柴田厚二郎 、1927年、32p)
脚注
[編集]- ^ 柴田厚二郎 1927, p. 32.
- ^ “戦国武将録”. 2022年9月10日閲覧。 [出典無効]