鸚鵡返文武二道

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鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)は、江戸時代後期に恋川春町によって著された黄表紙寛政元年(1789年)刊[1]。全3巻[1]

概要[編集]

親交のある朋誠堂喜三二の『文武二道万石通』の続編を意図して執筆された。『文武二道万石通』は松平定信寛政の改革(文武奨励策を含む)を批判する内容で好評を博した[1]。『鸚鵡返文武二道』も寛政の改革を批判する内容で、そのタイトル・文章表現は定信の『鸚鵡言』を風刺したものである[1]

その過激な内容のため、寛政元年(1789年)4月に春町は幕府から出頭を命じられるが、病気を理由に隠居してこれに応じず、同年7月に没した[2][3]。この筆禍によって春町は自殺したとする見方がある[2][3]

あらすじ[編集]

延喜の御代に補佐の任にあった菅秀才は武芸を奨励するが、人々が武勇を誇って洛中で騒動を繰り広げる[1]。そこで大江匡房[注釈 1]を招いて聖賢の道を講じさせて学問を奨励するが、その内容を勘違いした人々が再び洛中で騒動を引き起こす[1]

菅秀才は松平定信、大江匡房は柴野栗山をモデルにしており、寛政の改革による武家の変節を描いている[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 史実では大江匡房は醍醐天皇・菅原道真より200年後の人物である。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第1巻』岩波書店、1983年10月、411頁。 
  2. ^ a b 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第2巻』岩波書店、1984年1月、467-468頁。 
  3. ^ a b 岡本勝, 雲英末雄編『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、184頁。 

参考文献[編集]