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鵜殿士寧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鵜殿 士寧(うどの しねい、1710年宝永7年) - 1774年11月25日安永3年10月22日[1])は、江戸時代中期の武士[2]儒学者 [2]漢詩[1]。名は孟、孟一、のち長一(ながかず)[1][2]。字は士寧、通称は左膳[1]。本荘、桃花園と号す[1]。本姓村尾氏[1]歌人として有名な鵜殿余野子は妹[1]。子に鵜殿長衡、松平乗兆、鵜殿長衛、娘(遠山景澄妻)、山崎長衎、川窪信貞らがいる[3]

経歴・人物

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江戸に生まれる[1][2]金田昌豊の三男[3]幕臣鵜殿長周の養子となり、長周の娘を妻とする[1]

元文5年(1740年)養父の遺跡を継ぐ[3]宝暦9年(1759年)江戸城西丸書院番[2]。弱冠にして長沼流兵学を学び、修練を積む[1]朱子学を学ぶが、のち徂徠学服部南郭に師事[2]。禄高は650石[1]明和7年(1770年)に番を辞する[3]。著作に『桃花園遺稿』『楼居放言』など[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『鵜殿士寧』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『鵜殿士寧』 - コトバンク
  3. ^ a b c d 寛政重修諸家譜 巻第七百四十三