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高原王

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高原王(たかはらおう、生没年不詳)は、平安時代初期の皇族貴族臣籍降下後の氏姓三原朝臣一品新田部親王の後裔。官位従五位上伊豆守

経歴

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仁明朝承和5年(838年従五位下叙爵し、承和7年(840年伊豆守に任ぜられる。この間の承和6年(839年雨乞いのために伊勢大神宮に派遣されている[1]

文徳朝に入ると、嘉祥3年(850年)3月の仁明天皇の初七日に近陵の七ヶ寺に遣使が行われた際、道野王とともに桧尾寺使を務める[2]。また、同年8月には宝剣・明鏡・名香・綵帛を奉るために、宇佐八幡宮香椎廟に派遣されている[3]。のち、仁寿元年(851年)従五位上、仁寿2年(852年)伊豆守に叙任されている。

清和朝貞観元年(859年三原朝臣姓を与えられて臣籍降下した。

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『続日本後紀』承和6年4月21日条
  2. ^ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年3月27日条
  3. ^ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年8月23日条

参考文献

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