阿波大正浪漫 バルトの庭

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阿波大正浪漫 バルトの庭

地図
施設情報
愛称 バルトの庭
テーマ 映画「バルトの楽園」(2006年公開)および、その題材となった板東俘虜収容所
開園 2010年4月25日
閉園 2015年5月6日
所在地 徳島県鳴門市大麻町桧字野神ノ北22-1
位置 北緯34度09分32.5秒 東経134度29分47.6秒 / 北緯34.159028度 東経134.496556度 / 34.159028; 134.496556座標: 北緯34度09分32.5秒 東経134度29分47.6秒 / 北緯34.159028度 東経134.496556度 / 34.159028; 134.496556
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管理棟前から

阿波大正浪漫 バルトの庭(あわたいしょうろまん バルトのにわ)は、徳島県鳴門市大麻町桧にあったテーマパーク。2015年5月6日に閉園[1]

2006年に公開された映画『バルトの楽園』と、その題材となった板東俘虜収容所をテーマとする。映画のロケで使用されたセットを中心に、実際の収容所建造物も交えて、収容所や映画撮影時の模様を紹介していた。

運営は特定非営利活動法人(NPO)の「ドイツ村BANDOロケ村保存会」であった。

開設と閉園の経緯[編集]

2005年の映画撮影の際、鳴門市などが協力する形で、鳴門市板東にロケセットが建設された[2]。撮影終了後の2006年3月から2年間の限定という形で、「BANDOロケ村~歓喜の郷」の名称で有料の施設公開がおこなわれた。これは市が地元のボランティアの協力を得て実施され、市の予想を上回る23万人の来場者があった。地元からは公開の継続を求める声があり、閉鎖2週間後の2008年4月から地元のNPOが市と運営委託契約を結んで公開を再開した。しかし、地権者との関係や立地の問題(河川敷上であった)、さらに建物の安全性を理由に市側は2009年3月以降の契約延長を認めず、2009年2月に再び閉鎖された。

鳴門市側は別の土地への移築による保存をNPOに提案し、NPO側が少し離れた場所の土地を確保した上で移築がおこなわれた。この移築に際して、実際の収容所で使用された兵舎(バラッケ)1棟も敷地内に移築保存されることとなった。2010年4月25日にオープン[3]

2015年、施設の設置・運営に協力してきた地権者が「一定の地域活性化の役割は果たした」として閉園を運営者に申し入れ、5月6日限りで約5年の歴史に幕を下ろした[1]。施設等の今後については未定としている[1]。2015年12月9日から2016年1月24日まで期間限定で再公開された[4]

施設[編集]

場内では、ボランティアによる無料ガイドがおこなわれていた。

ロケセットの建物

映画の撮影に際して当時を復元して建てられたもの。営門のほか管理棟・売店(民家)・衛兵詰所・印刷所・製パン所・洗面所・酒保・兵舎(バラッケ)の8棟。2011年には製パン所のセット内に実際にパンが焼ける煉瓦窯が再現され[5]、土日と祝日にはこの窯で焼いたパンが数量限定で販売されていた。

実際の兵舎(バラッケ)

大正時代に建設され、その後転用されていたものを移築復元。将校用兵舎。

野外舞台

2011年9月完成。農村舞台を模した木造平屋で、阿波人形浄瑠璃の上演会や演奏会等を開催した[6]

利用情報[編集]

  • 開場時間:9時 - 16時30分

交通アクセス[編集]

周辺[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c “バルトの庭、閉園を惜しむ 最終日、県内外から観光客100人”. 徳島新聞. (2015年5月8日). https://www.topics.or.jp/articles/-/5869 2015年6月5日閲覧。 
  2. ^ 実際の収容所も板東にあったが、ロケセットの位置とは異なる。
  3. ^ バルトの楽園 新ロケ村オープン徳島新聞2010年4月26日
  4. ^ 阿波大正浪漫「バルトの庭」開園 - 鳴門総合情報サイト「鳴門の門」
  5. ^ 収容所のパン窯再現 鳴門新ロケ村17日1周年徳島新聞2011年4月14日
  6. ^ 「バルトの庭」に野外舞台 こけら落とし、人形浄瑠璃上演徳島新聞2011年9月25日
  7. ^ 鳴門市ドイツ館報第23号 (PDF) - 2010年3月1日(「元捕虜の曾孫夫妻の訪問」の箇所を参照)
  8. ^ 鳴門市賀川豊彦記念館 設立経過(2015年4月19日閲覧)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]