長崎明

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長崎 明(ながさき あきら、1898年 (明治31年)9月26日 - 没年月日不明 )は日本の哲学者。元八幡大学教授[1]岡山県出身。

経歴[編集]

備前岡山池田家家老 日置健太郎を母方の祖父とする名門の家に生まれる[1]。父親、長崎常は札幌農学校内村鑑三と共にクラーク博士に学んだ農務省官僚であった[1]。なお、常は九州法学校創設時に宇賀田順三と親交があった人物。母キヨは日本画壇の女流画家

明は岡山一中から慶応義塾松本高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科に入学、美学を専攻し伊藤吉之助に師事する[1]。卒業後西南学院専門学校、九州専門学校で教鞭を執る。1947年、宇賀田順三の要請により 戸畑専門学校開校時に教授に就任。1948年から1956年まで八幡大学教授(1954年に法経学部長就任)。哲学、倫理学ドイツ語の講義を受け持った。以後西南女学院短大に転出した。英語、ドイツ語、フランス語ギリシャ語ラテン語に精通したクリスチャン学者でもあった[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 八幡大學史 学校法人八幡大学 1980年10月発行 87~88頁