銭元カン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
本来の表記は「銭元瓘」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
文穆王 銭元瓘
呉越
第2代王
王朝 呉越
在位期間 932年5月15日 - 941年9月17日
姓・諱 銭伝瓘→銭元瓘
明宝
諡号 文穆王
廟号 世宗
生年 光啓3年11月12日
887年11月30日
没年 天福6年8月24日
941年9月17日
武粛王
昭懿夫人
皇后 恭穆夫人
恭懿夫人
仁恵夫人
魯国夫人

銭 元瓘(せん げんかん)は、十国呉越の第2代王。武粛王銭鏐の七男。

生涯[編集]

天復2年(902年)、唐朝により鎮海節度使に任命された銭鏐は京師に帰還すると人質の提供を求められた。他の兄弟がことごとく朝廷に向かうことを拒否する中、伝瓘のみが人質となることを志願した。後に杭州に戻った伝瓘は、成人後に呉越の軍勢を率いて各地を転戦するなどの武功を上げた。これらの活躍により、銭伝璲銭伝懿(銭伝璹)、銭伝璙らの諸兄に譲られる形で武粛王の後継者となった。

宝正7年(932年)、武粛王の薨去にともない後を継いだが、王を名乗らなかった。この時に元瓘と改名している。長興4年(933年)には後唐明宗より呉王に、翌年には呉越王に封じられている。天福2年(937年)には後唐に取って代わった後晋高祖により呉越王に封じられている。

天福6年(941年)に薨去、享年55。翌年2月、現在の浙江省蕭山龍山南に埋葬された。[1]

家族[編集]

父母[編集]

  • 祖父:銭寛
  • 祖母:趙国太玄夫人水丘氏
  • 父:武粛王
  • 母:昭懿夫人陳氏

妻妾[編集]

  • 恭穆夫人馬氏
  • 恭懿夫人呉氏(順徳王太后)、仁恵夫人許氏、魯国夫人鄜氏
  • 崔夫人、陳夫人、沈夫人、周夫人、田氏

男子[編集]

  • 銭弘僎(瓊山侯)
  • 銭弘儇
  • 銭弘侑(西安侯)
  • 銭弘侒
  • 銭弘僔(孝献世子)
  • 忠献王
  • 忠遜王
  • 銭弘偡(呉興恭義王)
  • 忠懿王
  • 銭弘億(奉国康献節度使)
  • 銭弘儀(開国彭城侯)
  • 銭弘偓(衢州刺史)
  • 銭弘仰(台州成顕刺史)
  • 銭弘信(昭化靜宣節度使)

脚注[編集]

  1. ^ 『呉越備史』卷3, 忠献王 天福七年条 「二月癸卯、敕葬先王於龍山之南原。」
先代:
武粛王
呉越の第2代王
932年 - 941年
次代:
忠献王