金岡用兼
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閑々子 | |
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1438年 - 没年不詳 | |
生地 | 讃岐国 |
没地 | 不明 |
宗派 | 曹洞宗 |
寺院 |
龍文寺 洞雲寺 丈六寺 |
師 |
大庵須益 為宗仲心 |
金岡 用兼(きんこう ようけん、永享10年1月(1438年) - 没年不詳)は、戦国時代の曹洞宗の僧。讃岐国出身。俗姓は戸田。
生涯[編集]
文安5年(1449年)、出家し周防国にある龍文寺の大庵須益に師事する。文明5年(1479年)、師である大庵須益が示寂したため、法兄の為宗仲心に師事する。
長享元年(1487年)、厳島神社の神主であった藤原教親の開基により安芸国の洞雲寺を創建。延徳年間頃(1487年 - 1491年)、阿波国・三河国・讃岐国の守護大名・細川成之が丈六寺を修営し、用兼が招かれ開山。明応9年(1500年)、師である為宗仲心とともに越後国の永平寺の伽藍再建に携わる。
永正12年11月15日(1515年)、洞雲寺をあとに行脚に出て以降、行方知れずとなる。墓所は徳島県徳島市の用兼が開山した丈六寺にある。
参考文献[編集]
- 小稿『応龍山洞雲寺開山金岡用兼禅師伝』年譜