重岡建治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

重岡 建治(しげおか けんじ、1936年 - )は、日本彫刻家[1]満州国ハルビン出身[1]。2014年現在も伊東市大室高原にある自身のアトリエにて活動中[2]。「触っても壊れない彫刻」をコンセプトとしており、作品は駅前や公園などの野天に設置されているケースもある[3]。用いる素材はブロンズ、大理石、木などさまざまで[3]、日本国内のみならずスイスイタリアなどを含め[1]、総計100以上の作品が設置されている[4]

ジャムス市にて終戦を迎えると日本に戻り、一家は熱海のあたりに落ち着いた[3]。1958年[1]定時制高校を卒業すると、進学はせずに圓鍔勝三の元を訪れ、住み込みで弟子入りすることを許された[3]。1961年の入選を皮切りに日展では以後1970年まで9回の入選を数えた[1]。1960年の現代イタリア彫刻展(於:日本橋高島屋)においてその作品を目にして以来熱望していたエミリオ・グレコへ師事するため[5]、1971年にローマの国立アカデミア美術学校へ留学した[1]。イタリアには4年半ほど滞在し彫刻を学んだが、その際にはデッサンの重要性を学んだといい、また当時のイタリアの空気には学ぶところが多かったとしている[3]。帰国後も製作を続け、日本各地にモニュメントが設置されている[1]。イタリアの市庁舎モニュメント製作や[3]、同国で開催されたビエンナーレへの出品もある[1]。1971年以降、2014年現在までは、賞を目指しての各種コンクールへの出品からはある程度距離をおき、個展に重点を置いての活動を継続しているという[4]

作品の例[編集]

受賞作の一部を例示する[1]

  • 『伊豆の農夫』(1963年) - 日彫展奨励賞
  • 『髪』(1965年) - 日彫展日彫賞
  • 『ラウラの頭像』(1974年) - インターナショナルアカデミア美術展金賞
  • 『家族』(1977年) - 伊東市制30周年記念モニュメント
  • 受胎告知』(1980年) - 第一回高村光太郎大賞展佳作賞
  • 『白鳥讃歌』(1986年) - 大阪市南港緑道彫刻公募大賞

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h i プロフィール”. 三島信用金庫 さんしんギャラリー善-ZEN-. 2010年10月27日閲覧。
  2. ^ 伊豆高原の彫刻家「重岡建治」”. アートの風. メープルハウジング. 2010年10月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 津久井美智江. “トップインタビュー Vol.40 彫刻家 重岡 建治さん”. NEWS TOKYO 都政新聞株式会社. 2010年10月27日閲覧。
  4. ^ a b ひと・しずおか:彫刻家・重岡建治さん/静岡”. 毎日新聞 (2014-09-28日). 2010年10月27日閲覧。
  5. ^ EXHIBITION_110815”. さんしんギャラリー善. 2010年10月27日閲覧。