鄭運

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鄭運
各種表記
ハングル 정운
漢字 鄭運
発音: チョン・ウン
日本語読み: てい うん
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鄭 運(チョン・ウン、てい うん、1543年 - 1592年9月1日)は、李氏朝鮮の水軍の将。文禄の役で活躍したが、釜山浦海戦で戦死した。

生涯[編集]

本貫は河東鄭氏で、生地は現在の韓国全羅南道海南郡玉泉面大山里。字は昌辰(しょうしん)、諡名は忠壮公、生地に彼を祀った「忠臣閣」がある。父は全羅南道霊巌郡出身の訓錬参軍鄭応禎。明暦・隆慶5年(1571)甲午(5月)武科に合格した。文禄の役(1591年)の際、鹿島万戸(軍官=将の階級)となり舟師を率いて李舜臣の部下に属し、随所で勝利したが、釜山浦海戦(1592年9月1日)で被弾し戦死。その後、李氏朝鮮は廟を鹿島に立て、田を給して祀った。

記念碑[編集]

  • 忠臣閣:全羅南道・海南郡玉泉面大山里(出生地)
  • 双忠祠:全羅南道・高興郡道陽邑鳳巌里に李大源将軍と合祠
  • 殉義碑:慶尚南道・釜山広域市沙下区多大洞山144
  • 墓石碑:全羅南道・海南郡玉泉面平活里三山面

名を付けられた艦船[編集]

出典[編集]

  • 近世日本国民史 豊臣氏時代 丁編 徳富猪一郎(蘇峰)著 人物年表 其二 61頁 「テ」の項
  • 「朝鮮人名辞書」朝鮮総督府中枢院編(昭和十二年三月三十日初版発行、昭和五十二年八月二十日復刻版発行)