遠藤慶勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
遠藤慶勝
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 天正16年(1588年
死没 慶長20年2月12日1615年3月11日
戒名 明心大神院
墓所 岐阜県郡上市の慈恩寺
官位 従五位下、長門
幕府 江戸幕府
主君 徳川家康秀忠
美濃八幡藩嫡子
氏族 遠藤氏
父母 父:遠藤慶隆、母:三木良頼の娘
兄弟 慶勝、娘(金森可重正室)、娘(遠藤胤直室のち粥川某室)、娘(三木直綱室)
正室:本多康重の娘

遠藤 慶勝(えんどう よしかつ)は、美濃八幡藩の世嗣。初代藩主・遠藤慶隆の長男。

生涯[編集]

遠藤慶隆の嫡子として生まれ、慶長11年(1606年)に叙任する。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣に出陣したが発病。慶長20年(1615年)、家督を継ぐことなく28歳で早世した。

慶隆は慶勝に代わり、外孫(慶勝の甥)の慶利を養子に迎え、嫡子とした。