進斎年光

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進斎 年光(しんさい としみつ)は、月岡芳年門下の浮世絵師に対する通称である。明治期に活動した複数の人物が称せられたが、進斎年光と号した人物は存在しない。以下に進斎年光と呼称された人物を挙げる。

  • 小林年参
    • 姓は小林または古林、名は栄成。現在の三重県出身の士族で、上京して芳年に入門する。亭斎、年参、進斎、日不見岡等と号す。1874年頃から芳年の補佐として名が記され、1886年頃まで浮世絵や挿絵が見られる。また、絵師としての活動に留まらず書籍や図版の編集・出版者としても活動した。1898年5月に建立された月岡芳年翁之碑には芳年社中故門人として小林年参の名が有る。
  • 大月年光
    • 芳年門下の東京の人物とされる。1877・78年頃に西南戦争錦絵を2、3種描いたとの記述がある。また、1878年には「百花叡覧」(大判3枚続)を大月年光名義で発表している。月岡芳年翁之碑には芳年社中故門人として年光の名が有る。
  • 福島年光
    • 東京の人、星湖と号す。地方を旅行後、1893・94年頃に帰京、1894年10月には京橋区水谷町で暮らす。松野米次郎の後援を受けて日清戦争期から日露戦争期にかけて戦争絵や「千代田日報」の挿絵を描くが、いざこざを起こして出奔し所在不明となったという。月岡芳年翁之碑には芳年門人として年光の名が有る。