藤猛

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藤猛ふじ たけし、本名:ポール・タケシ・藤井、1940年7月6日 - )は、ハワイ出身で日系3世の元プロボクサー。右ファイター。リキ・ボクシングジム所属。統一(WBAWBC)世界スーパーライト級王者。

トレーナーに井岡弘樹など6人の世界王者を育てた名伯楽のエディ・タウンゼントを擁し、荒々しいファイトスタイルと、「ハンマー・パンチ」の異名を持つ強打でKOを量産した。当時日本国内で流行語にもなった、世界王座獲得後のコメント『オカヤマのお婆ちゃん』『ヤマトダマシイ』は、日本語を話せない藤を人気者にするため吉村会長に教えられた演出である。

王座陥落後の1970年、試合直前でありながら突然の出場拒否を一方的に宣言、事態を重く見たコミッションにより無期限試合出場禁止の処分を受け事実上の現役引退となった。

現在は茨城県の水戸ボクシングスクールにて指導をしている。

  • 1965年 日本スーパーライト級王者(1度防衛)
  • 1966年 東洋スーパーライト級王者(1度防衛)
  • 1967年 統一世界スーパーライト級王者(1度防衛)

来歴

  • 1970年6月 元世界王者同士の対決として注目を集めていた、エディ・パーキンスとのノンタイトル戦を6月28日に控えながら、直前に腰痛を理由とした突然の出場拒否。同年6月25日、日本ボクシングコミッションによる無期限試合出場停止の処分を受け事実上の現役引退。

最終戦績38戦34勝(29KO)3敗1分 (うち世界戦 3戦2勝(2KO)1敗)

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1965年6月17日 - 1967年7月25日(返上)

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