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葉室頼子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

葉室 頼子(はむろ よりこ、1773年安永2年) - 1846年2月11日弘化3年1月16日))は、光格天皇典侍。父は権大納言葉室頼煕。法号は厚淳院。

生涯

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光格天皇の典侍となり、礼仁親王,ついで2皇子(礼仁親王・俊宮)と1皇女(能布宮)を生むも、いずれも夭折する[1]。後に民部卿典侍と称し、光格天皇の養子である承真法親王尊宝法親王の養母となった[2]

1846年2月11日弘化3年1月16日)、死去。享年74。法号は厚淳院[2]

脚注

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  1. ^ 「近世の朝廷と女官制度」(高橋博、吉川弘文館2009年
  2. ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社