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紀淑人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
紀淑人
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 不明
死没 不明
官位 従四位下河内守
主君 醍醐天皇朱雀天皇村上天皇
氏族 紀氏
父母 父:紀長谷雄
兄弟 淑望淑人、淑信、淑光、淑行、淑間、淑方、淑久、淑江
宗定
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紀 淑人(き の よしと/よしひと)は、平安時代前期から中期にかけての貴族歌人中納言紀長谷雄の次男。官位従四位下河内守

経歴

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左近衛将監六位蔵人を経て、延喜13年(913年従五位下叙爵。のち醍醐朝では右兵衛佐左衛門権佐と武官を務めた。

朱雀朝に入り、承平5年(935年)に河内守に任ぜられ地方官に転じる。翌承平6年(936年)正月に従四位下に叙されるが、不穏な動きを見せていた伊予国日振島海賊を封じるため、同年5月に伊予守南海道追捕使に任じられ、瀬戸内へ下向した。淑人は前伊予守・藤原元名の一族で現地に土着化していた藤原純友を配下に迎え、海賊に田畑を与え農業に従事させるなどの投降策をとった[1]。しかし、天慶2年(939年)純友は海賊と謀って反乱を起こしている(藤原純友の乱)。

その後も、天慶6年(943年丹波守天暦2年(948年)河内守に再任されるなど朱雀朝から村上朝にかけて地方官を歴任した。

勅撰歌人として、『古今和歌集』に和歌作品が1首採録されている。

官歴

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注記のないものは『古今和歌集目録』による。

紀淑人が登場する作品

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脚注

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  1. ^ 扶桑略記
  2. ^ 『尊卑分脈』
  3. ^ 『紀氏系図』(『続群書類従』巻第168所収)