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竹内俊一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹内 俊一(たけうち しゅんいち、1896年1月17日 - 1976年10月26日)は日本の実業家三菱石油(現ENEOSホールディングス)社長・会長や、石油連盟会長を務めた。

人物

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大阪府出身。津山中学校(現岡山県立津山高等学校)を経て、1917年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後、三菱合資会社入社。三菱商事を経て、1941年から三菱石油[1]

1946年三菱石油社長、1936年同会長。社長就任後、各ポストの職名を変え、責任を明確化。方針決定は、合議制で行われるように組織改編を行った[2]

石油連盟会長や、日経連常任理事、東京ロータリークラブ会長等も歴任。

趣味はゴルフ歌舞伎鑑賞[3]

脚注

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  1. ^ 朝日新聞1964年6月24日
  2. ^ 朝日新聞1956年9月12日
  3. ^ 朝日新聞1963年8月20日


先代
大久保繁雄
三菱石油社長
1946年 - 1961年
次代
藤岡信吾