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竜禅寺

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竜禅寺
龍禅寺三仏堂
龍禅寺三仏堂(国の重要文化財)
所在地 茨城県取手市米ノ井467番地
位置 北緯35度55分22.1秒 東経140度01分22.8秒 / 北緯35.922806度 東経140.023000度 / 35.922806; 140.023000座標: 北緯35度55分22.1秒 東経140度01分22.8秒 / 北緯35.922806度 東経140.023000度 / 35.922806; 140.023000
山号 米井山
院号 無量寿院
宗旨 天台宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 (伝)延長2年(924年
開山 伝誉
開基 (伝)平将門
中興年 建久3年(1192年)
中興 源頼朝
正式名 米井山無量寿院龍禅寺
文化財 三仏堂(国の重要文化財)
法人番号 8050005008860 ウィキデータを編集
竜禅寺の位置(茨城県内)
竜禅寺
竜禅寺
竜禅寺 (茨城県)
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竜禅寺(りゅうぜんじ)は、茨城県取手市にある天台宗の仏教寺院。米井山無量寿院と号す。

概要

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天台宗の古刹で守谷市の西林寺の末寺。山号は「平将門が武運長久を祈願しに詣でたところ、堂前の井戸から米が噴出した」との伝承によるもので、古くから将門伝説と結びついていた。創建年ははっきりしないが、明治28年(1895年)の『古寺取調書』には、延長2年(924年)に伝誉大阿闍梨が三仏堂を道場として開いて、承平(937年)に平将門が仁王門と鐘楼を寄進して盛り立てたとある。また、弘化2年(1845年)に書かれた『下総旧事考』には「相伝平将門創建」と記される。 境内には本堂、三仏堂(後述)、太子堂、鐘楼などがある。本尊は阿弥陀如来、脇侍は十一面観音地蔵菩薩。また三仏堂には一木から造立されたと伝える釈迦如来阿弥陀如来弥勒菩薩を祀る[1][2]

沿革

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平安時代の延長2年の創建[3]または、承平7年に平将門が創建とも言われる。

将門の死後に荒廃したが、建久3年(1192年)に源頼朝千葉常胤に命じて修復した[2]

慶安2年(1649年)に徳川家光朱印状により19石3斗の朱印地を賜る[1]

明治21年(1888年)に内務省から保存金100円の交付を受けて修理[2]

昭和60年1月から昭和61年10月にかけて三仏堂の解体修理が行われ、創建当時の姿に復された[2]

文化財

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重要文化財(国指定)

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  • 三仏堂 - 名称は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三尊を祀ることによる。三尊はそれぞれ過去、現在、未来を意味するとされる。江戸時代以降の度重なる修復により大きく外観が変わっていたが、昭和60年から行われた解体修理で、創建当初の姿に復元された。この修理で室町時代の永禄12年(1569年)の墨書のある木札が発見された。取り付け場所より建立後に取り付けられたものと考えられる。
屋根は寄棟造茅葺。桁行三間、梁間四間(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を表す)の三間堂で、正面寄りの梁間一間が外陣、それより後方を内陣とする。内陣の背面と両側面の3方に裳階が付き、背面の裳階は内陣に取り込まれている。内陣奥側に来迎壁を設け、須弥壇を構える。外陣回りの3方に縁を回し、正面は切込み階段。身舎は総円柱。組物は出組で、正面と背面は詰組とするが、両側面は中備に蟇股を備える。組物や頭貫の木鼻、須弥壇には禅宗様の影響がみられる。
3方のみに裳階をつける形式は、同時代の仏堂に類例がなく貴重である。禅宗様に和様を加えた地方色濃厚な折衷様からなり、部材の残存率がきわめて高く、加工の痕跡が明瞭である。昭和51年(1976年)05月20日指定。[4][2]

脚注

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  1. ^ a b 取手市史編さん委員会 1988, p. 81.
  2. ^ a b c d e 取手市史編さん委員会 1988, p. 154-163.
  3. ^ 竜禅寺三仏堂|茨城県教育委員会”. www.edu.pref.ibaraki.jp. 2018年10月20日閲覧。
  4. ^ 竜禅寺三仏堂 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2018年10月20日閲覧。

参考資料

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