種子島久照

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種子島 久照(たねがしま ひさてる、宝暦10年(1760年) - 文化11年(1814年))は、薩摩藩(鹿児島藩)家臣、種子島氏第22代当主。幼名は鶴袈裟、通称は弾正、佐渡。初名は庸時、久柄。

略歴[編集]

宝暦10年(1760年)種子島久芳の子として生まれる。明和6年(1769年)元服。 寛政元年(1789年)初めて種子島を訪れる[1]安永9年(1780年犬追物の射手を務める。天明8年(1786年)父の隠居により家督相続し、種子島島主となる。藩主島津重豪より「久」の字を賜る。文化11年(1814年)死去。享年55。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 佐藤宏之 著 中塚武 監修「文化期の自然災害と地域社会」『気候変動から読み直す日本史6 近世の列島を俯瞰する』p72 2020年11月30日 臨川書店 全国書誌番号:23471480

参考文献[編集]