祖父が塚古墳
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祖父が塚古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
所在地 | 長野県北安曇郡松川村4295-2(字なし) |
位置 | 北緯36度23分58.73秒 東経137度50分7.53秒 / 北緯36.3996472度 東経137.8354250度座標: 北緯36度23分58.73秒 東経137度50分7.53秒 / 北緯36.3996472度 東経137.8354250度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径16m 高さ2.5m |
埋葬施設 | 無袖式横穴式石室 |
出土品 |
玉・銀環・頭椎大刀 (伝)刀剣・甲冑・土器 |
築造時期 | 6世紀末 |
史跡 | 松川村指定史跡「祖父が塚古墳」 |
地図 |
祖父が塚古墳(じいがづかこふん)は、長野県北安曇郡松川村にある古墳。形状は円墳。松川村指定史跡に指定されている。
概要
[編集]長野県北部、神戸原扇状地の南部末端付近(標高658メートル)に築造された古墳である。1879・1880年(明治12・13年)頃に発掘され副葬品が出土しているが、発掘調査は実施されていない。
墳形は円形で、直径16メートル・高さ2.5メートルを測る[1]。墳丘外表で葺石・埴輪は認められない[1]。埋葬施設は無袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。明治期の発掘では石室内から多数の副葬品が出土しているが、その多くが散逸し、現在では玉・銀環・頭椎大刀などの一部が宮内庁書陵部で保管されている。築造時期は古墳時代後期の6世紀末頃と推定される[2]。
古墳域は1983年(昭和58年)に松川村指定史跡に指定されている。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては無袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の平面形は狭長の羽子板状を呈し、石室の規模は長さ8.14メートル、奥壁幅1.9メートル、中央部幅2.4メートル、開口部幅1.3メートル、奥壁高さ1.8メートルを測る。石室の側壁は5-6段の乱石積みで、わずかに持ち送る。天井石は4枚が残存する(元は5枚か)[1]。
石室内は明治期に発掘されており、玉・銀環・頭椎大刀などが宮内庁書陵部に、土器類・甲冑・刀剣類が有明山神社に納められたという。宮内庁移送分については県史調査の際に確認・報告されているが、有明山神社移送分については現在では詳らかでない[1]。
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石室内部(奥壁方向)
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石室内部(開口部方向)
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開口部
文化財
[編集]松川村指定文化財
[編集]- 史跡
- 祖父が塚古墳 - 1983年(昭和58年)1月5日指定。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 史跡説明板(松川村教育委員会設置)
- 「祖父が塚古墳」『松川村誌』 歴史編、松川村誌刊行会、1988年。
外部リンク
[編集]- 遺跡探訪>祖父が塚古墳 - 松川村ホームページ
- 祖父が塚古墳 - 公益財団法人八十二文化財団