石川城
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石川城 (青森県) | |
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別名 | 大仏ヶ鼻城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 曽我道性 |
築城年 | 建武元年(4・1334) |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 曾我氏・石川南部氏 |
廃城年 | 慶長16年(1611) |
遺構 | 郭・堀・土塁 |
指定文化財 | なし |
石川城(いしかわじょう)は青森県弘前市に築かれていた日本の城。 別名、大仏ヶ鼻城。周辺の館とあわせて石川十三楯(大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館)と呼ばれ、この13の城館の総称として石川城といわれた。
歴史[編集]
津軽の曽我宗家である平賀の曽我道性により建武元年(1334年)に築城されたと伝わる。曽我氏はその後南部氏に制圧され、天文2年(1533年)石川高信が石川城を居城としていた。だが元亀2年(1571年)5月5日未明、大浦為信(後の津軽為信)の急襲を受けて落城、石川高信は自害した。その後石川城は津軽氏の所有となり、津軽家臣である板垣将兼が守った。慶長16年(1611年)、弘前城築城に際し石川城は廃城となった。