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皇化連盟

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皇化連盟(こうかれんめい)とは、1919年6月に創設され[1]、政治学者の五来欣造が代表を務めていたファシスト系の教化団体である[2]。幹部には森吉義旭が居た[1]。また、連盟員の中には、白系ロシア人ロシアファシスト党日本代表のワシリー・ペトロウィチ・バルイコフが居た[2]

1935年7月から8月にかけて、コミンテルン(第三インター)が第7回コミンテルン世界大会を開き、日本やドイツ等を共産化の主な攻撃目標に定めた[3]。それに対し皇化連盟は、1935年11月7日に有志大会を主催し、「我等ハ今日ヲ期シテ更ニ共産主義ノ徹底的撲滅ヲ期ス」とする反共決議を行った[2]

関連項目

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出典

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  1. ^ a b 昭和十三年版 勞働年鑑 協調会 1938年11月19日
  2. ^ a b c 『国民思想善導教化及団体関係雑件 第一巻 8.露西亜ファシスト党日本代表出演ノ皇化連盟主催演説会状況関係』「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B04013004000、国民思想善導教化及団体関係雑件 第一巻(I-4-5-1-8_001)(外務省外交史料館)」
  3. ^ 世界の戦慄・赤化の陰謀 P.75-76 東京日日新聞社・大阪毎日新聞1936年
  4. ^ 昭和八年版 勞働年鑑 協調会編 1933年 協調会

外部リンク

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