百済王玄鏡

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百済王玄鏡
時代 奈良時代 - 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 正四位下刑部卿
主君 光仁天皇桓武天皇
氏族 百済王氏
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百済王 玄鏡(くだらのこにきし げんきょう)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族官位正四位下・刑部卿。

経歴[編集]

宝亀6年(775年従五位下叙爵する。

桓武朝初頭の延暦2年(783年)従五位上に昇叙される。少納言右兵衛督を経て、延暦6年(787年桓武天皇交野に行幸した際に一族で百済楽を演奏し、玄鏡は正五位下に叙せられる。その後も、延暦8年(789年)正五位上、延暦9年(790年従四位下と桓武朝前半に順調に昇進した。またこの間の延暦8年(789年)には上総守として地方官に遷っている。

延暦16年(797年)従四位上、延暦18年(799年)刑部卿に至る。

官歴[編集]

六国史』による。

脚注[編集]

参考文献[編集]