王寓 (前燕)

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王 寓(おう ぐう、生没年不詳)は、五胡十六国時代前燕の人物。新興郡の出身。

生涯[編集]

鮮卑慕容部の大人慕容皝に仕え、督護に任じられていた。

咸和9年(334年)12月、慕容皝に反乱を起こしていた慕容仁は派兵して新昌を攻めた。新昌を守っていた王寓はこれを撃退した。

咸康3年(337年)9月、慕容皝は文武諸官の編成を行い、王寓は太僕[1]に任じられた。

長史に任じられた。

咸康8年(342年)11月、燕王慕容皝は自ら4万の兵を率いて高句麗を攻めた。慕容皝は建威将軍慕容翰・平狄将軍慕容覇を前鋒として南道を通り、王寓は1万5千の兵を率いて北道を通った。北道で高句麗軍と戦ったが全敗したため、南道で勝利を収めていた慕容皝らは追撃ができなかった。

これ以後の事績は、史書に記されていない。

脚注[編集]

  1. ^ 『晋書』巻109 慕容皝では、裴開・陽騖・李洪・杜群・宋該・劉瞻・石琮・皇甫真・陽協・宋晃・平熙・張泓らと列卿将帥に任じられたと記されている。

参考文献[編集]