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  • 水野氏のサムネイル
    享禄2年(1529年)7月23日卒、法名・全勝 1. 山城守 大和守  常滑城主 年死す     法名・花鴎 1.守次(守隆) 監物             慶長3年(1598年)4月21日卒、法名・雲室全慶 落城の後、嵯峨に住す。妻は水野信元の女。墓所は京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町68天龍寺 妙智院。 1. (新七) 天正12年(1584年)小牧の役にて戦死…
    60キロバイト (6,852 語) - 2024年6月24日 (月) 03:33
  • 山名氏のサムネイル
    山名堯熙:但馬守護。祐豊の三男。豊臣家の家臣となり秀吉に仕える。別名は氏政。 山名堯政:堯熙の子。豊臣秀頼近臣。大坂の陣、大坂城で戦死。 清水(但馬山名家家臣~清水恒豊流) 清水庄太夫:但馬守護職山名祐豊の家臣。 清水正親:祐豊の家臣。その後天正18年(1590年)徳川家康に仕える。280俵。…
    55キロバイト (7,219 語) - 2024年4月20日 (土) 16:31
  • 畠山氏のサムネイル
    、周参見、鈴木、隅田、玉置、丹下、淡輪、野長瀬、堀内、水走、湊、三宅、保田、安見、湯浅、湯川、和田など。 在地の勢力で実戦部隊を擁した。政権中央では湯川(湯川直光、湯川直春)が活躍した程度であったが、彼らの帰趨が畠山の没落を決定づけた。堀内
    64キロバイト (8,886 語) - 2024年5月28日 (火) 14:06
  • 南条氏のサムネイル
    官位は中務大輔、大坂城内にて切腹と伝えられている。 南条貞宗    ┣━━━┳━━━┓   景宗 機堂長応 尼子経時    ┃       ┃       ┃       ┃   宗賢    ┃     宗皓    ┣━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┓     宗勝    元信 信正 宗信…
    17キロバイト (2,497 語) - 2024年5月12日 (日) 09:36
  • 菊池氏のサムネイル
    藤原。流離して出羽国に移住する。新田開発大番となる。 系譜 武直―武経―武奥―武治―伝兵衛武清 菊池縫殿允流 十左衛門の代に佐竹義宣に従い秋田に転封に随行し、出羽国仙北郡六郷に住み、隠居 佐竹義重に仕えるという。義重卒後は同郡刈和野に移り、後に秋田城下に移り住むという。 系譜 縫殿允―十左衛門―(十左衛門)一某…
    46キロバイト (6,292 語) - 2024年5月22日 (水) 04:02
  • 仁木氏のサムネイル
    (猶子)・義尹の系統に属するのではないかと推測しており、今岡健治が土橋姓から義長の系統に属するのではないかと推測している。 正長2年(1429年)に伊賀守護が戦死しているが、これは仁木だと推測されている。その跡は
    16キロバイト (1,668 語) - 2023年5月19日 (金) 13:48
  • 益子氏のサムネイル
    益子次郎右衛門 - 善右衛門 - 伝吉 - 善右衛門 - 七郎兵衛為房 益子仁左衛門流 益子丹後の次男、益子仁左衛門の代に常陸国から秋田に下向し、雄勝郡湯沢に住む。 系譜 益子仁左衛門 - 味右衛門 - 儀左衛門為昌 益子丹後流 慶長7年(1602年)、益子丹後の子、丹後の代に常陸国より秋田に下向し、雄勝郡湯沢に住む。…
    26キロバイト (4,422 語) - 2024年5月8日 (水) 12:31
  •               義久 山村(木曾家筆頭家老職) 山村良利(三河国司山村三河守) 山村良候(三郎九郎・七郎右衛門・三郎左衛門) 山村良安(十三郎・甚兵衛) 山村良勝 奈良井 高遠 千村 馬場 三尾 贄川 大石 上野(牧野) 黒川 熱川 古畑 上松
    40キロバイト (5,145 語) - 2024年3月27日 (水) 07:00
  • 細川氏のサムネイル
    天竺元氏(三郎二郎)(土佐国大津城主・天竺の名跡を継いだ?、弟に住田久次(甚兵衛尉)) 大津城主天竺家臣:石谷・井上・公文・坂本・澤本・曾我・長崎・宮地・横山・依光 細川俊の兄・義久を祖とする。駿州家とも。 駿河守家歴代当主 細川義久 細川義胤 細川義門 細川清 細川久 細川氏家 細川元家…
    113キロバイト (13,585 語) - 2024年7月15日 (月) 02:44
  • 信濃国のサムネイル
    1559年 - 1573年:武田晴信(信玄) 1574年 - 1582年:武田勝頼 諏訪 高遠 - 諏訪派生。 村上 高梨 海野 真田 大井 木曽 仁科 - 安曇郡 藤沢 滋野 香坂 武田晴信 信濃侵攻の大義名分のため。 小出吉政 但馬出石藩初代藩主・和泉岸和田藩第2代藩主。…
    86キロバイト (14,641 語) - 2024年7月3日 (水) 14:20
  • 土岐氏のサムネイル
    土岐は美濃国のみならず常陸、上総など関東に点在した他、美濃国内には多治見、妻木、下石、肥田、猿子、小里、明智、久々利、石谷、土井、金森、蜂屋、乾、青木、原、浅野、深沢、饗庭、仙石、荻原、舟木、徳山、高山、神野
    48キロバイト (5,985 語) - 2024年5月31日 (金) 09:58
  • 真田氏のサムネイル
    真田(さなだし)は、武家・華族だった日本の氏族。信濃国の豪族として興り、戦国時代に武田に属して勢力を伸ばし、武田滅亡後には真田昌幸が信濃国小県郡と上野国吾妻郡を領有する小戦国大名として自立。関ヶ原の戦いでは昌幸と次男信繁(幸村)が西軍、長男信之が東軍について分裂したが、信之の系統が江戸時代に…
    39キロバイト (4,471 語) - 2024年5月17日 (金) 10:52
  • 三好氏のサムネイル
    三好(みよしし)は、日本の氏族の一つ。室町時代には阿波守護細川の守護代を務め、戦国時代に細川に対して下剋上を起こし、阿波をはじめとする四国東部のみならず畿内一円に大勢力を有し、三好政権を築いた。 清和源氏(河内源氏)流信濃源氏の一族で鎌倉時代の小笠原
    53キロバイト (7,255 語) - 2024年6月24日 (月) 02:20
  • 高力氏のサムネイル
    を称したとされ、『寛政重修諸家譜』には重長の母は簗田与次郎の娘と表記されている。 ただし、寛永・寛政の家譜以外の文献では、上記とは異なる出自も散見される。 『藩翰譜』は、上記の出自のほか、「直繁」という人物が近江国から三河国へ逃れ来て、高力村に600石の土地を領有して高力
    37キロバイト (5,225 語) - 2023年12月5日 (火) 04:25
  • 北魏のサムネイル
    の文帝(元宝炬)が西魏の皇帝に即位した時に追贈した諡号。 粛宗孝明帝(元詡、在位:515年 - 528年) 元法僧(在位︰525年):僭称皇帝 皇女(名不詳、孝明帝の皇女、在位:528年4月1日-2日):孝明帝唯一の子女。孝明帝を毒殺した霊太后(胡太后)により、生後1か月で男子と偽って皇帝に立て…
    24キロバイト (3,821 語) - 2024年2月23日 (金) 16:53
  • 筒井氏のサムネイル
    筒井(つついし)は、大和の戦国大名。大和国添下郡(明治30年以降は生駒郡)筒井から起こったと伝える。 筒井は大神神社の神官・大神の一族と言われている。筒井は大和国添下郡筒井の土豪として大和に勢力を持っていた。鎌倉時代以降、大和守護は興福寺が務めており、筒井
    15キロバイト (1,926 語) - 2024年5月19日 (日) 13:33
  • から基清が養子に入ったのち、その子孫たちは通字に「基」を使用するようになった。 利仁の系統を名乗る後藤家は日本全国にあり、後藤は日本における屈指の大姓である。 著名なものとしては、大坂の陣の勇将後藤基次を出した播磨後藤の系統と、肥前国の国人・後藤貴明の系統である(ただし貴明自身は大村
    13キロバイト (891 語) - 2024年5月24日 (金) 13:08
  • 島津光久のサムネイル
    十男:島津久明(1659-1717) - 島津大蔵家祖 六女:万鶴 - 北郷忠昭室 七女:千亀 - 伊勢貞顕室 十一男:島津久当 - 島津久岑(佐司島津家)の養子 十二男:(字「外記」) 十三男:島津久記 - 島津頼母家祖、「鹿児島県資料集 旧記雑録拾遺諸氏系図3」では生母は濱田勘左衛門純昌の娘 十一女:千代鶴 - 桂忠昶室…
    12キロバイト (1,362 語) - 2024年7月27日 (土) 12:45
  • 藤堂氏のサムネイル
    戦国時代の当主藤堂高虎は、浅井・阿閉・磯野・織田・豊臣・徳川と主を次々と乗り換えて大大名に出世したことで知られる。賤ケ岳の戦いや紀州征伐、九州征伐、朝鮮出兵などで戦功を重ねて豊臣秀吉政権下で伊予国内において8万石を領する宇和島城主に昇った。 秀吉の死後高虎は徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いと大坂
    30キロバイト (2,018 語) - 2024年7月4日 (木) 15:48
  • 神保氏のサムネイル
    還されたが、信長はこれに怒って長住を越中から追放し、越中守護代神保は滅びた(『信長公記』)。 紀伊畠山に仕えた神保春茂は豊臣政権期に高市郡6千石に封ぜられ、 その子の神保相茂は関ヶ原の戦いの戦功で千石の加増を受けた。しかし大坂の陣天王寺の戦いで相茂をはじめとする神保勢は大多数が討ち死に、壊滅…
    15キロバイト (1,986 語) - 2024年5月29日 (水) 12:29
  • 清井権二郎宛 推定、安政年間、5月25日(高知 小松彰明蔵) 坂本乙女、春猪宛 文久3年秋?(高知 弘松家文書) 宛先き、年未詳 推定、元治元年9月15日、勝海舟宛(阿刀弘敬蔵) 池内蔵太宛 推定、慶応元年、22日(高知県立歴史民俗資料館蔵) 宛先き、年月日、未詳 推定、慶応元年、坂本乙女宛(高知県立歴史民俗資料館蔵)
  • なぜなら塾業界でも、中学受験の学力は、大学入試には役立ちづらいが、高校受験の学力は、大学入試にけっこう役立つ、という言い伝えがあります。(YouTubeの塾動画などで、・塾講師が言っています。) どんなに難関の中学に合格しても、そこで予習をやめてしまっては、将来の大学受験には、まったく、対処できません。
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