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このウィキでページ「和流」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 流大蔵派、日置流印西派、日置流竹林派、武田流、小笠原流、各流派についてその秘奥を究めたとある。また、大坂の熊谷直綱より逸見流を学ぶと同時に、直綱の神道思想を受け入れる。その神道思想を中心とし、儒仏の思想をも織り混ぜて大和流として大成させた。 大和流開祖 森川香山喜忠(号 観徳軒)は「大和流弓道教訓之巻」で以下のように述べている。…4キロバイト (619 語) - 2023年1月11日 (水) 02:09
- 流捕手を併伝した際に伝承が混同したものである。一角流捕手の伝承には、松崎金右衛門は一切関係がない。 また、流祖が丹波の住人で小谷惣右衛門となっており一角流とほぼ同じ技法である中和流短剣術は、幕末から明治頃に一角流を学んだ者が中和流(一角流とは無関係)も学び一角流…5キロバイト (767 語) - 2024年3月2日 (土) 15:58
- 宗和流 (そうわりゅう)は、茶道の流派の一つ。 金森重近(宗和)の祖父金森長近は信長・秀吉・家康に仕えた武将で、千利休に茶を学んだ。父で長近の養子の金森可重もまた千道安に学び茶の湯に秀でていた。 初代金森宗和は、はじめは可重の嫡子として高山藩を継ぐとされていたが、廃嫡とされたため、宇治・京都に移っ…5キロバイト (781 語) - 2024年5月8日 (水) 11:21
- 叡山流 真言宗系 大和流 高野山真言宗 - 高野山金剛流 真言宗御室派 - 御室金剛流 真言宗智山派 - 密厳流 真言宗豊山派 - 豊山流 真言宗東寺派 - 東寺流 真言宗大覚寺派 - 御所流 浄土宗系 吉水流 浄土宗西山派 - 西山流 臨済宗系 臨済宗妙心寺派 - 花園流 臨済宗南禅寺派 - 独秀流…6キロバイト (1,032 語) - 2024年7月2日 (火) 21:44
- 流局とするルールである。三家和流れともいう。三家和が成立した場合、その局の点棒収受は行われず、次の局に移る。 なお、三家和を流局とせず、1人または3人全員の和了を認めるルールになっていることもある。上家取り(頭跳ね)を採用している場合は、放銃した者から反時計まわりに数えて最も近いプレイヤーのみ和…14キロバイト (2,170 語) - 2024年6月17日 (月) 07:30
- 三和無敵流(さんかむてきりゅう)は、江戸時代の武術流派。三和流とも。抜刀術・剣術・杖術・手杖(短杖)術・柔術・捕縄術・外物を伝えていた。 金沢厚朴(1673 - 1752年)が、一刀流と卜伝流の2流を修めた後、諸国修行の間にも刀法拳法など37流を極め、三和無敵流と称したことから始まり、常陸国に広まる。…1キロバイト (184 語) - 2022年11月29日 (火) 04:08
- 流派と同様のものではない。『現代弓道講座』では主な流派として尊流、神道流、日本流、鹿島流、太子流、伴流、紀流、秀郷流、逸見流、武田流、日置流、大和流、小笠原流をあげているが、そのうち近世以降に見られる流派は小笠原流、武田流、日置流、大和流である。これらを大別すると、故実を中心とする弓馬故実の流派と、…47キロバイト (7,251 語) - 2023年11月14日 (火) 12:12
- 昭和以降は清水隆次、高山喜六、乙藤市蔵系統のものしか残っていない。 杖術だけでなく、神道流剣術を含み、一達流捕縄術(英語版)、一角流十手術、一心流鎖鎌術(英語版)、内田流短杖術、中和流短剣術が併伝されている。 杖術の技法は手の内の打突を主とし、相手を打ち倒し殺す技ではない。攻撃点は当て…6キロバイト (861 語) - 2024年4月9日 (火) 02:39
- 肥前国多久で学ばれていた捕手の一つである。肥前国では、本覚無双流捕縛・夢想賢心流捕手・新無双柳流・無双柔圓流・天下枝垂流・本覚圓流・鈴鹿本覚流・鈴鹿夢傳流・柳流・無双真和流・無我流などの捕手が学ばれていた。捕手は元々は一つであったが分かれて流派が生じたとされている。 幕末の本覚無双流師家元は副島五郎右衛門豊重である。副島五郎右衛…5キロバイト (738 語) - 2024年7月18日 (木) 07:49
- その後、同形式の砲が日本でも製造される様になったが、砲全てを一つの鋳造型で製造する南蛮流(欧州流)と、尾栓のみを別個に鋳造しネジで塞ぐ和流の二系統が存在した。尾栓を持つのは当時の火縄銃の機構と同一であるが、和流がその形式を採用した理由は不明である(大砲より細長い形状の銃は、その形状のまま鋳造するの…4キロバイト (630 語) - 2024年6月20日 (木) 16:47
- 取長屋氏(長江氏支流)の長屋将監景重の子)を養子として迎え、郡上八幡城主遠藤慶隆の娘室町殿を妻に迎えた。二人の間に生まれた子が、後に茶道宗和流の祖となる金森宗和である。 天正10年(1582年)2月、信長から兵部大輔を拝命し、そして同年正四位下兵部卿となった。…11キロバイト (1,430 語) - 2024年6月29日 (土) 04:41
- 穴澤流 - 流祖は穴澤主殿助盛秀。現在、15本の形を残すのみである。 静流 巴流 楊心流 肥後古流 一心流 月山流 鈴鹿流 直元流 直心影流 神道無螫流 常山流 香取流 円流 随変流 我徳流 戸田派武甲流薙刀術 先意流 清和流 天真正伝香取神道流 鹿島新当流 天流 天道流 馬庭念流 竹内流 - 備中伝長刀…9キロバイト (1,265 語) - 2023年12月1日 (金) 19:50
- 江戸幕府2代将軍徳川秀忠]]の茶道指南役。 小堀遠州 - 遠州流、小堀遠州流、江戸幕府3代将軍徳川家光の茶道指南役で、「きれい寂び」の茶道を確立した。 片桐石州 - 石州流、江戸幕府4代将軍徳川家綱の茶道指南役。 船越永景 - 小堀遠州の門人、江戸幕府4代将軍徳川家綱の茶道指南役。 金森重近(宗和) - 宗和流、古田織部・小堀遠州の影響を受けた。…10キロバイト (1,377 語) - 2024年7月9日 (火) 12:58
- た本草書『庖厨備用倭名本草』は、藩主綱紀の健康を心配した孝貞の求めで、食膳の食品の良毒について執筆し、寛文11年(1671年)献上したもの。 茶道宗和流2代金森方氏の門人であった。 ^ 「加賀八家「殿様」たちの末裔 藩主支えた絆 旧男爵家の誇りは今も」『月刊北国アクタス』2014年8月号 『加賀藩史稿』…3キロバイト (505 語) - 2020年2月12日 (水) 13:49
- ったが、秀忠は織部の茶の湯を愛したため幕閣をはじめとする諸大名、公家、僧侶たちもそれに倣い、織部流は秀忠が亡くなるまで柳営茶道の中心であった。その後も織部流は諸藩で用いられ、遠州流・宗和流・石州流・宗旦流などが台頭するまで全盛であった。 江戸幕府のほか、特に加賀藩、仙台藩、尾張藩、熊本藩、薩摩藩、長…20キロバイト (3,075 語) - 2024年7月24日 (水) 02:20
- く歩いていると、俺は変なものに出喰(でく)わした。それは溪の水が乾いた磧(かわら)へ、小さい水溜を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被
- 荒牌平局(ホワンパイピンチュー)或いは単に平局(ヘイキョク)誰も和了せずに牌山が途切れてしまったときに流局とする。 錯和流局(チョンボリュウキョク)だれかがチョンボを行った時に流局とする。 九種九牌(キュウシュキュウハイ)純粋な一巡目に么九牌が9種以上ある時に宣言し流局させることができる。なお、正式名称は「九種么九牌倒牌」である。
- 徳人 土人 何人 女人 人人 俳人 廃人 売人 白人 万人 犯人 非人 病人 婦人 無人 別人 変人 盲人 木人 有人 友人 遊人 余人 要人 力人 流人 料理人 発起人 保証人 文化人 不覚人 貧乏人 内国人 同居人 天地人 付添人 知識人 現代人 帰化人 宇宙人 一般人 異星人 異邦人 請負人 外国人
- うらうらに照れる春日に雲雀上がり情(こころ)悲しも独りし思へば -大伴家持「春愁三首」 春野尓 霞多奈伎 宇良悲 許能暮影尓 鴬奈久母 和我屋度能 伊佐左村竹 布久風能 於等能可蘇氣伎 許能由布敝可母 宇良々々尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比登里志於母倍婆 -- 『万葉集』巻十九・4290〜4292。
- — 国立研究開発法人防災科学技術研究所 水・土砂防災研究部門, 2021年7月3日 『令和3年7月1日からの大雨による被害及び消防機関等の対応状況(第7報)』 — 消防庁災害対策本部, 2021年7月4日 『大雨 熱海市で土砂崩れ発生 土石流で家屋多数流されたか』 — 静岡新聞, 2021年7月3日 『土石流流出災害関連(熱海市伊豆山港付近)』