コンテンツにスキップ

検索結果

(前の20件 | ) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示
  • 博多のサムネイル
    博多 博多(はかた)とは、九州地方北部の筑前国、現在の福岡県福岡市博多区の一部地域である。博多湾に面する港湾都市で、博多津などとも呼ばれた。 戦国時代の合戦により博多一帯が荒廃したが、豊臣秀吉による都市整備(太閤町割り)により、博多商人の協力の下、那珂川の東側に博多の町(流)が整備され、現在の博多
    74キロバイト (11,854 語) - 2024年6月26日 (水) 10:00
  • 商人のサムネイル
    下関屋 佐甲藤太郎 - 下関屋 浦戸 播磨屋宗徳 - 播磨屋 博多 神屋紹策 - 神屋 神屋宗湛 - 神屋 島井宗室 - 博多屋 本庄宿 戸谷半兵衛 - 中屋 森田豊香 - 酒屋 その他 謝国明 鈴木道胤 安井道頓 近江商人 伊勢商人 株式は、オランダ東インド会社が最初と言われているが産業革命以降…
    60キロバイト (10,207 語) - 2024年5月5日 (日) 16:52
  • 博多織のサムネイル
    古くから絹織物生産が盛んであったことが判明しているが、鎌倉時代の1241年に円爾(弁円)と共に宋から帰国した博多商人の満田弥三右衛門(1202年-1282年)が新たに持ち帰った唐織の技術が博多織の始まりとされる。弥三右衛門はこれを「広東織」と称し、この技法を家伝とした。独鈷と華皿の図案化は弁円のアド…
    11キロバイト (1,740 語) - 2023年3月29日 (水) 07:31
  • 博多湾のサムネイル
    刀伊の入寇。女真族が侵入。 1161年 平清盛が後の博多商人の基盤となる日本で最初の人工港「袖の湊」を建設。 1195年 栄西が帰朝し聖福寺を開山。 1242年 円爾(弁円)が帰朝し承天寺を開山。 1268年 クビライの使者が来訪。 1274年元寇・文永の役。元軍が百道・博多・箱崎に上陸。 1276年 沿岸一帯に元寇防塁を築く。…
    16キロバイト (2,216 語) - 2023年9月20日 (水) 10:03
  • 神屋宗湛のサムネイル
    神屋宗湛 (カテゴリ 江戸時代の商人)
    日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての博多商人、茶人。神屋氏の第6代当主。出家前の諱は貞清。島井宗室・大賀宗九とともに「博多三傑」と呼ばれる。 天文20年(1551年)、博多の豪商神屋家5代当主・神屋紹策の子として誕生。 神屋氏は代々博多の貿易商人の家であった。曽祖父の神屋寿禎は石見銀山の開発に携わった。…
    9キロバイト (1,360 語) - 2023年11月29日 (水) 11:59
  • 綱場町のサムネイル
    綱場町 (カテゴリ 博多区の地理)
    博多浜の両陸地を繋ぐ辺りを呼称するという。 江戸期は博多の1町。博多祇園山笠や博多松囃子(博多どんたく)の運営における構成単位である流の一つである「石堂流」(現在の恵比須流)の一部。箱崎と福岡部を結ぶ六町筋の一つで、中間町と掛町の間に立地。近世以来の博多商人の町であった。…
    9キロバイト (1,001 語) - 2023年11月30日 (木) 18:39
  • 福岡市のサムネイル
    万人)を擁し、人口増加数・人口増加率ともに政令指定都市の中で首位(2020年国勢調査)。 博多湾に面するこの地域は古来から博多(はかた)として認識されており、大陸方面への玄関口として利用されてきた。中世に商人による自治都市が形成され、戦乱で度々焼き払われながらも、豊かな町人文化を育んだ。豊臣秀吉の…
    189キロバイト (23,147 語) - 2024年6月26日 (水) 09:50
  • 沖学園中学校・高等学校のサムネイル
    博多区竹下二丁目にある私立中学校・高等学校。 学校法人沖学園は、1941年(昭和16年)、沖四郎により開かれた「興亜珠算道場」をルーツとしている。戦後は「博多経理専門学校」を経て、1958年(昭和33年)、優れた博多商人を育てたいという沖四郎(2代校長に就任)によって「博多商
    17キロバイト (2,142 語) - 2024年5月9日 (木) 07:48
  • 世界大百科事典のサムネイル
    ^ 「お知らせ」〈アーカイブ〉、エキサイト辞書、エキサイト。2021年5月13日閲覧。 ^ 2021年5月14日時点では誤脱がある。例えば「市域は博多商人を輩出した。」(「福岡[市]」〈アーカイブ〉、エキサイト辞書)となっている箇所は、本来「市域は福岡平野の大半を占めて(後略)」(「福岡[市]」コト…
    15キロバイト (1,553 語) - 2024年2月27日 (火) 08:14
  • 日明貿易のサムネイル
    公式の貿易が行われた他、博多や堺などの有力商人も同乗し、明政府によって必要な商品が北京にて買い上げられる公貿易や明政府の許可を得た商人・牙行との間で私貿易が行われていた。遣明船に同乗を許された商人は帰国後に持ち帰った輸入品の日本国内の相場相当額の1割にあたる金額を抽分銭として納付した。…
    10キロバイト (1,827 語) - 2024年1月26日 (金) 22:07
  • 北条時宗 (NHK大河ドラマ) (カテゴリ 博多を舞台とした作品)
    商人や高麗使節、元王朝初代皇帝世祖までが登場する世界スケールの構想となり、中国やモンゴルでの海外ロケも行われた。 ご当地となる福岡市早良区のシーサイドももち公園内には、謝国明館・少弐氏館・唐人街など中世の博多を再現した中世博多展示会場が設けられ、オープンロケが行われ、同年には「中世博多
    59キロバイト (9,155 語) - 2024年5月6日 (月) 09:12
  • 小呂島のサムネイル
    の棟札には、宗像郡東郷村の住人の名がある。建長4年7月12日の『関東御教書』には筑前国志摩郡となっており、宗像大社の社領であった島に関して、中国系博多商人であった謝国明が妻の地頭を名乗って領有権を主張したことで領地争いになり、宗像社雑掌が鎌倉幕府に社役対捍を訴え、幕府が謝国明に戒告したことを記録して…
    11キロバイト (1,727 語) - 2024年6月6日 (木) 16:13
  • 島井宗室のサムネイル
    島井宗室 (カテゴリ 江戸時代の商人)
    そうしつ、天文8年(1539年)- 元和元年8月24日(1615年10月16日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての博多商人、茶人。「宗叱」(読み同じ)とも表記される。名は茂勝。号は虚白軒。神屋宗湛・大賀宗九と並び「博多の三傑」と呼ばれる。 「武士とキリシタンには絶対になるな」などの遺訓一七ヵ条が有名。…
    6キロバイト (975 語) - 2021年3月14日 (日) 22:01
  • 朝期にあたる1389年から続いていた。しかし15世紀半ばになると、倭寇リスクを避けるため、琉朝通交は博多・対馬商人が国書・進物を預かり代わりに通交を行う請負通交へと姿を変えていた。こうした中、博多商人道安は1453年に琉球国王使として請負通交を行い、1455年には名義詐称型の偽琉球国王使の通交にも成…
    87キロバイト (16,973 語) - 2024年2月14日 (水) 15:41
  • 福岡県のサムネイル
    平清盛が大宰大弐となる。 応保元年(1161年) - 平氏政権の樹立に向け、平清盛は博多に後の博多商人の基盤ともなる日本初の人工港湾「袖の湊」を建設し、日宋貿易を行う。 中世には、「袖の湊」が設けられた博多が大規模な貿易港として栄えた。博多遺跡群(福岡市博多区)からは、中世に貿易でもたらされた陶磁器が大量に出土している…
    166キロバイト (18,472 語) - 2024年6月29日 (土) 17:49
  • 市川團十郎 (7代目)のサムネイル
    らしをしていた。天保5年(1834年)時の福岡藩主黒田斉清の招きにより歌舞伎役者として初めて九州博多へ興行におもむく。仙涯和尚との面白い話を当時の博多商人が記録に残している。(博多中洲中島町に團十郎博多来演の碑が建立されている。)また天保11年(1840年)には初代團十郎没後百九十周年追善興行とし…
    10キロバイト (1,117 語) - 2023年8月28日 (月) 14:45
  • 黒田忠之のサムネイル
    地)に定めると、肥前佐賀藩鍋島家と交代で、長崎警護の幕命を受ける。忠之は長崎に警護屋敷、港を造営し、末次家や伊藤家、藩御用大賀家など数多くの博多商人も長崎と博多を船で往来するようになる。また、このことにより福岡藩の江戸参勤に於ける回数、当主の江戸滞在期間短縮など幕府から優遇を受ける。…
    10キロバイト (1,335 語) - 2024年1月2日 (火) 05:23
  • 呉服町 (福岡市)のサムネイル
    呉服町 (福岡市) (カテゴリ 博多区の地理)
    の鎖国政策に反して朝鮮と密貿易を行った罪により、博多商人の伊藤小左衛門(いとうこざえもん)が処刑された際に、父に連座して処刑されたという小四郎(こしろう)と萬之助(まんのすけ)の兄弟の霊を祭ると伝えられている。 ^ 所在地:812-0034福岡市博多区下呉服町10番48号北緯33度36分8.1秒 東経130度24分31…
    25キロバイト (2,965 語) - 2024年6月11日 (火) 23:18
  • 中洲のサムネイル
    中洲 (カテゴリ 博多区の地理)
    日本 > 九州地方 > 福岡県 > 福岡市 > 博多区 > 中洲 中洲(なかす)は、福岡県福岡市博多区の町名で、那珂川と博多川に挟まれた中州に位置する歓楽街。現行の行政地名は、中洲一丁目から五丁目まで。面積は202,650平方メートル (20.27 ha)。2023年9月末現在の人口は691人。郵便番号は810-0801。…
    36キロバイト (5,533 語) - 2024年6月12日 (水) 07:22
  • 大賀宗九 (カテゴリ 江戸時代の商人)
    博多商人。島井宗室・神屋宗湛とともに「博多の三傑」と呼ばれる。名は信好(のぶよし)。子孫は代々福岡藩黒田家の国元御用商人をつとめた。子の二代目は、茶人でもあった大賀宗伯。 永禄4年(1561年)、豊前国中津(大分県中津市)の武器商人
    3キロバイト (544 語) - 2023年11月24日 (金) 14:21
  • 使を出した回數も、このころがいちばん多かつたやうです。 遣唐使の一行は、留學生を加へて、五百人以上の人數でありました。難波(なには)から船を出して、博多(はかた)に寄り、東支那海を橫ぎつて大陸へ向かひます。當時の船は、外海の荒波を乘りきるのに、決して十分ではありませんでした。しばしば吹き流されたり、
  • 院を設け、自由な取引による経済繁栄をはかった。これが寺内町である。 港町と宿場町 堺 (大阪府) や博多 (福岡県) では、富裕な商工業者が市井を運営する自治的組織をつくっていた。堺では会合衆、博多では年行司と呼んでいる。特に、堺はイタリアのベニスにもたとえられた自治組織として有名である。 京都の復興
(前の20件 | ) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示