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2006年11月21日 (火) 04:03時点における版

臼杵 鑑速うすき あきすみあきはや永正17年(1520年)? - 天正3年5月8日1575年6月16日))は大友氏の家臣。臼杵長景の子で、臼杵鑑続及び戸次親家後室の弟、臼杵鎮続の兄。

兄同様、外交面で大いに活躍した。大友宗麟豊後豊前をはじめとする守護職の継承や、幕府との交渉、毛利氏や国人たちとの交渉などは、ほとんどこの鑑速が行なっている。また、毛利氏との合戦にも積極的に従軍して武功を挙げた。

このため、立花道雪(鑑速の姉が継母として養育した)や吉弘鑑理とともに大友氏の『三老』にまで列せられた。