「人生」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
タグ: 取り消し |
m編集の要約なし |
||
5行目: | 5行目: | ||
| 精度 = 2020年6月 |
| 精度 = 2020年6月 |
||
}} |
}} |
||
{{ |
{{Otheruseslist|'''一般的な概念・普通名詞としての人生'''|その他の用法|人生 (曖昧さ回避)}} |
||
[[ファイル:11-stages-womanhood-1840s.jpg|thumb|right|200px|女性の人生。([[1849年]]、米国)]] |
[[ファイル:11-stages-womanhood-1840s.jpg|thumb|right|200px|女性の人生。([[1849年]]、米国)]] |
||
{{Wiktionary|人生}} |
{{Wiktionary|人生}} |
||
'''人生'''(じんせい)とは、[[人間]]が[[現世|この世]]で生きることや、生きている[[時間]]、[[経験]]などのことである。人生に対する見方や、人生の意味の理解のしかたを[[人生観]]という。 |
'''人生'''(じんせい)とは、[[人間]]が[[現世|この世]]で生きることや、生きている[[時間]]、[[経験]]などのことである。人生に対する見方や、人生の意味の理解のしかたを[[人生観]]という。 |
||
== 人生観 == |
== 人生観 == |
||
17行目: | 18行目: | ||
}} |
}} |
||
{{See also|人生観}} |
{{See also|人生観}} |
||
西洋では[[聖書]]が人々に豊穣な人生観を提示してきた |
{{要出典|範囲= 西洋では[[聖書]]が人々に豊穣な人生観を提示してきた。東洋では仏典の中に同様の役割を果たすものがある。たとえば[[法華経]]は多くの人々に人生を生きる意味を教えている。|date= 2020年9月19日 (土) 12:57 (UTC)}} |
||
[[飯田史彦]]はある著書で、人生を一種の学校だととらえることができるとしている。壁を乗り越えることに意味があると考えるのではなく、壁があることに意味があり、壁に挑戦しているだけでもすでに意味がある、と考えることで、人生で起きるすべての出来事に意味があると考えつつ人生を前向きに生きてゆくことができる、と説明している<ref name="iida_jinsei">{{Cite book|和書|author=飯田史彦|year=2003|title=人生の価値: 私たちは、どのように生きるべきか|publisher=PHP出版|id=ISBN 4569660401}}</ref>。また、飯田は別の著書で「[[輪廻|自分たちは、ある法則のもとで人生を何度も繰り返しながら成長している]]」という人生観は人生について最も豊穣な意味づけを可能にする、と述べている<ref name="iida_spi_edu">{{Cite book|和書|author=飯田史彦、吉田武男|title=スピリチュァリティ教育のすすめ: 「生きる意味」を問い「つながり感」を構築する本質的教育とは|publisher=PHP研究所|year=2009}}</ref>。この人生観を採用すると、「今の人生は、次の人生の下地となるものなのだから、今回の人生を日々大切に生きよう。そうすればその努力は次の人生に反映されるのだ」と希望を持って努力することができるという<ref name="iida_spi_edu" />。 |
[[飯田史彦]]はある著書で、人生を一種の学校だととらえることができるとしている。壁を乗り越えることに意味があると考えるのではなく、壁があることに意味があり、壁に挑戦しているだけでもすでに意味がある、と考えることで、人生で起きるすべての出来事に意味があると考えつつ人生を前向きに生きてゆくことができる、と説明している<ref name="iida_jinsei">{{Cite book|和書|author= 飯田史彦|year= 2003|title= 人生の価値: 私たちは、どのように生きるべきか|publisher= PHP出版|id= ISBN 4569660401}}</ref>。また、飯田は別の著書で「[[輪廻|自分たちは、ある法則のもとで人生を何度も繰り返しながら成長している]]」という人生観は人生について最も豊穣な意味づけを可能にする、と述べている<ref name="iida_spi_edu">{{Cite book|和書|author= 飯田史彦、吉田武男|title= スピリチュァリティ教育のすすめ: 「生きる意味」を問い「つながり感」を構築する本質的教育とは|publisher= PHP研究所|year= 2009}}</ref>。この人生観を採用すると、「今の人生は、次の人生の下地となるものなのだから、今回の人生を日々大切に生きよう。そうすればその努力は次の人生に反映されるのだ」と希望を持って努力することができるという<ref name="iida_spi_edu" />。 |
||
== 出典 == |
== 出典 == |
||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
<references/> |
|||
{{Reflist}} |
|||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
30行目: | 32行目: | ||
* [[人間]] |
* [[人間]] |
||
* [[人生相談]] |
* [[人生相談]] |
||
<!--* [[C'est la vie]]--> |
<!-- * [[C'est la vie]] --> |
||
{{ |
{{DEFAULTSORT:しんせい}} |
||
[[Category:人の一生]] |
[[Category:人の一生]] |
||
[[Category:人間科学]] |
[[Category:人間科学]] |
2020年11月13日 (金) 18:26時点における版
人生(じんせい)とは、人間がこの世で生きることや、生きている時間、経験などのことである。人生に対する見方や、人生の意味の理解のしかたを人生観という。
人生観
「人生観」も参照
西洋では聖書が人々に豊穣な人生観を提示してきた。東洋では仏典の中に同様の役割を果たすものがある。たとえば法華経は多くの人々に人生を生きる意味を教えている。[要出典]
飯田史彦はある著書で、人生を一種の学校だととらえることができるとしている。壁を乗り越えることに意味があると考えるのではなく、壁があることに意味があり、壁に挑戦しているだけでもすでに意味がある、と考えることで、人生で起きるすべての出来事に意味があると考えつつ人生を前向きに生きてゆくことができる、と説明している[1]。また、飯田は別の著書で「自分たちは、ある法則のもとで人生を何度も繰り返しながら成長している」という人生観は人生について最も豊穣な意味づけを可能にする、と述べている[2]。この人生観を採用すると、「今の人生は、次の人生の下地となるものなのだから、今回の人生を日々大切に生きよう。そうすればその努力は次の人生に反映されるのだ」と希望を持って努力することができるという[2]。
出典
- ^ 飯田史彦『人生の価値: 私たちは、どのように生きるべきか』PHP出版、2003年。ISBN 4569660401。
- ^ a b 飯田史彦、吉田武男『スピリチュァリティ教育のすすめ: 「生きる意味」を問い「つながり感」を構築する本質的教育とは』PHP研究所、2009年。