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[[江戸時代]]初期は、[[石高]](表高)が大きい藩や[[金]]・[[銀]]などの[[鉱山]]を所有する藩、[[新田開発]]で裏高が大きくなった藩など、特に経済力の大きい外様の藩について「雄藩」と呼ばれた。[[加賀藩]](100万石)、[[薩摩藩]](77万石)、[[仙台藩]](62万石)などが代表例である。 |
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江戸時代末期は、主に西日本の諸藩が[[財政]]改革に成功して経済力をつけ、軍備拡充と人材登用で国政における発言力を増し、「雄藩」と呼ばれるようになった。そのため石高との相関は小さい。 |
江戸時代末期は、主に西日本の諸藩が[[財政]]改革に成功して経済力をつけ、軍備拡充と人材登用で国政における発言力を増し、「雄藩」と呼ばれるようになった。そのため石高との相関は小さい。 |
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*[[薩長土肥]]: [[薩摩藩]]、[[長州藩]]、[[土佐藩]]、[[佐賀藩|肥前藩]] |
*[[薩長土肥]]: [[薩摩藩]]、[[長州藩]]、[[土佐藩]]、[[佐賀藩|肥前藩]] |
2020年8月19日 (水) 17:47時点における版
雄藩(ゆうはん)とは、江戸時代の日本における勢力の強い藩のこと。経済力や政治力のある有力藩に対する呼称である。
概要
江戸時代初期は、石高(表高)が大きい藩や金・銀などの鉱山を所有する藩、新田開発で裏高が大きくなった藩など、特に経済力の大きい外様の藩について「雄藩」と呼ばれた。加賀藩(100万石)、薩摩藩(77万石)、仙台藩(62万石)などが代表例である。
江戸時代末期は、主に西日本の諸藩が財政改革に成功して経済力をつけ、軍備拡充と人材登用で国政における発言力を増し、「雄藩」と呼ばれるようになった。そのため石高との相関は小さい。
幕末の雄藩
幕末の雄藩により構成されたグループとしては以下のようなものがある。