「1910年5月9日の日食」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Earth Resident (会話 | 投稿記録) ←新しいページ: 「サムネイル|300px '''1910年5月9日の日食'''は、1910年5月9日に観測された日食である。南極大陸とオ…」 |
Earth Resident (会話 | 投稿記録) m →観測 |
||
6行目: | 6行目: | ||
== 観測 == |
== 観測 == |
||
交通が極めて不便な南極大陸のほか、皆既帯が通過した唯一の陸地はオーストラリアのタスマニア州だった。雨季の不利な條件にもかかわらず、[[イギリス]]のパイオニア飛行士{{link-en|フランシス・マクリーン|Francis McClean}}率いる観測隊はタスマニア島南西部海岸にある{{link-en|ポート・デイビー|Port Davey}}に行った。結果、雨の天気で観測は成功しなかった。また、タスマニア島南東に位置する[[ブルニー島]]での観測も天気で失敗し、タスマニア島西部海岸の{{link-en|ジーアン|Zeehan}}と[[ストラーン]]では部分日食の段階で晴れだったが、皆既日食の段階に入って天気が悪化した。内陸にある{{link-en|クイーンズタウン (タスマニア州)|label=クイーンズタウン|Queenstown, Tasmania}}はごく少数の日食の過程のすべてが見えた場所で、[[コロナ]]の写真を撮った人もいた<ref>{{cite web|author=F. K. McClean and Others|title=Report of the Solar Eclipse Expedition to Port Davey, Tasmania, May, 1910|url=http://www.shindles.co.uk/Downloads/1910/1910-Expedition.pdf|date=1910-05|accessdate=2016-04-02}}{{en}}</ref><ref>{{cite journal|title=THE TOTAL SOLAR ECLIPSE OF May 9, 1910|journal=Nature|volume=83|issue=2121|pages=494–495|date=23 June 1910|url=http://books.google.com/books?id=nHkCAAAAIAAJ&pg=PA494|author1=Lockyer|first1=Sir Norman|last2=Group|first2=Nature Publishing|last3=Gateway|first3=UM-Medsearch|doi=10.1038/083494a0|accessdate=2016-04-02}}</ref>。 |
交通が極めて不便な南極大陸のほか、皆既帯が通過した唯一の陸地はオーストラリアのタスマニア州だった。雨季の不利な條件にもかかわらず、[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国|イギリス]]のパイオニア飛行士{{link-en|フランシス・マクリーン|Francis McClean}}率いる観測隊はタスマニア島南西部海岸にある{{link-en|ポート・デイビー|Port Davey}}に行った。結果、雨の天気で観測は成功しなかった。また、タスマニア島南東に位置する[[ブルニー島]]での観測も天気で失敗し、タスマニア島西部海岸の{{link-en|ジーアン|Zeehan}}と[[ストラーン]]では部分日食の段階で晴れだったが、皆既日食の段階に入って天気が悪化した。内陸にある{{link-en|クイーンズタウン (タスマニア州)|label=クイーンズタウン|Queenstown, Tasmania}}はごく少数の日食の過程のすべてが見えた場所で、[[コロナ]]の写真を撮った人もいた<ref>{{cite web|author=F. K. McClean and Others|title=Report of the Solar Eclipse Expedition to Port Davey, Tasmania, May, 1910|url=http://www.shindles.co.uk/Downloads/1910/1910-Expedition.pdf|date=1910-05|accessdate=2016-04-02}}{{en}}</ref><ref>{{cite journal|title=THE TOTAL SOLAR ECLIPSE OF May 9, 1910|journal=Nature|volume=83|issue=2121|pages=494–495|date=23 June 1910|url=http://books.google.com/books?id=nHkCAAAAIAAJ&pg=PA494|author1=Lockyer|first1=Sir Norman|last2=Group|first2=Nature Publishing|last3=Gateway|first3=UM-Medsearch|doi=10.1038/083494a0|accessdate=2016-04-02}}</ref>。 |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2019年8月23日 (金) 23:49時点における版
1910年5月9日の日食は、1910年5月9日に観測された日食である。南極大陸とオーストラリアのタスマニア州で皆既日食が観測され、オーストラリア、マレー諸島中南部及び以上の地域の周辺の一部で部分日食が観測された[1]。
通過した地域
皆既帯が通過した、皆既日食が見えた地域は南極大陸のウィルクスランドの一部とオーストラリアのタスマニア州中南部だった[2][3]。また、皆既日食が見えなくても、部分日食が見えた地域はマレー諸島中東部、オーストラリア全国、ニュージーランド南西部、メラネシア中西部、ケルゲレン諸島、南極大陸のインド洋沿岸[1][4]。
観測
交通が極めて不便な南極大陸のほか、皆既帯が通過した唯一の陸地はオーストラリアのタスマニア州だった。雨季の不利な條件にもかかわらず、イギリスのパイオニア飛行士フランシス・マクリーン(英語: Francis McClean)率いる観測隊はタスマニア島南西部海岸にあるポート・デイビー(英語: Port Davey)に行った。結果、雨の天気で観測は成功しなかった。また、タスマニア島南東に位置するブルニー島での観測も天気で失敗し、タスマニア島西部海岸のジーアンとストラーンでは部分日食の段階で晴れだったが、皆既日食の段階に入って天気が悪化した。内陸にあるクイーンズタウン(英語: Queenstown, Tasmania)はごく少数の日食の過程のすべてが見えた場所で、コロナの写真を撮った人もいた[5][6]。
脚注
- ^ a b Fred Espenak. “Total Solar Eclipse of 1918 Jun 08”. NASA Eclipse Web Site. 2016年4月10日閲覧。
- ^ Fred Espenak. “Total Solar Eclipse of 1910 May 09 - Google Maps and Solar Eclipse Paths”. NASA Eclipse Web Site. 2016年4月2日閲覧。
- ^ Xavier M. Jubier. “Eclipse Totale de Soleil du 9 mai 1910 - Cartographie Interactive Google (1910 May 9 Total Solar Eclipse - Interactive Google Map)”. 2016年4月2日閲覧。
- ^ Fred Espenak. “Catalog of Solar Eclipses (1901 to 2000)”. NASA Eclipse Web Site. 2016年4月2日閲覧。
- ^ F. K. McClean and Others (1910年5月). “Report of the Solar Eclipse Expedition to Port Davey, Tasmania, May, 1910”. 2016年4月2日閲覧。
- ^ Lockyer, Sir Norman; Group, Nature Publishing; Gateway, UM-Medsearch (23 June 1910). “THE TOTAL SOLAR ECLIPSE OF May 9, 1910”. Nature 83 (2121): 494–495. doi:10.1038/083494a0 2016年4月2日閲覧。.