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*柱の上部同士を補強するため、[[長押]]を打つ |
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*組物の間に[[蟇股]](かえるまた)または間斗束(けんとづか)という部材を置く |
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*柱は太く、天井を低めにしたものが多い |
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*床を張り、[[縁側]]を造る |
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*床下に[[亀腹]]を築く |
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2019年7月29日 (月) 02:25時点における版
和様建築(わようけんちく)とは、鎌倉時代に中国から伝わった建築様式(大仏様、禅宗様)に対して、それまで日本で寺院建築に用いられてきた寺院建築の様式を指す。単に和様(わよう)とも呼ばれた場合には和様建築のことを指す場合もある。
概要
もともと寺院建築の様式は中国から伝わってきたものであるが、平安時代の国風文化の時代に日本人好みに洗練されていった。大寺院では規模の大きな仏堂もあるが、住宅風に柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間の仏堂も造られた。鎌倉時代に中国から新たな様式が伝わってくると、従来の様式との違いが意識されるようになり、やがて和様という言葉が生まれた。
中世においては、禅宗寺院では禅宗様、密教寺院には和様(一部に大仏様を取り入れた折衷様)と宗派と建築様式の区分もあったが、近世に入ると様式の折衷化が進み、密教寺院に一部禅宗様の要素が取り入れられることもあった。
和様の特徴
代表的な建造物
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明通寺本堂(福井県、国宝)正嘉2年(1258年) 正面柱間はすべて蔀戸とし、外観は和様だが、内部には禅宗様、大仏様を取り入れた折衷様建築である。
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長寿寺本堂(滋賀県、国宝) 平安時代末期ないし鎌倉時代初期
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霊山寺本堂の蟇股
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霊山寺本堂の蔀戸
参考文献
- 『週刊朝日百科 日本の国宝』7号、朝日新聞社、1997(霊山寺)
- 『週刊朝日百科 日本の国宝』80号、朝日新聞社、1997(西明寺、長寿寺)
- 『週刊朝日百科 日本の国宝』84号、朝日新聞社、1997(明通寺)