長寿寺 (湖南市)

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長寿寺
Tyoujuji 2.JPG
本堂(国宝)
所在地 滋賀県湖南市東寺5-1-11
位置 北緯34度59分7.17秒 東経136度3分35.62秒 / 北緯34.9853250度 東経136.0598944度 / 34.9853250; 136.0598944座標: 北緯34度59分7.17秒 東経136度3分35.62秒 / 北緯34.9853250度 東経136.0598944度 / 34.9853250; 136.0598944
山号 阿星山(あぼしさん)
宗派 天台宗
本尊 地蔵菩薩秘仏
創建年 伝・天平年間(729年 - 749年
開山 伝・良弁
開基 伝・聖武天皇(勅願)
正式名 阿星山長寿寺
別称 東寺(ひがしでら)
札所等 湖南三山
文化財 本堂(国宝
弁天堂、木造阿弥陀如来坐像他4件(重要文化財
法人番号 8160005002563 ウィキデータを編集
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本堂平面図

長寿寺(ちょうじゅじ)は、滋賀県湖南市石部地区にある天台宗寺院山号は阿星山(あぼしさん)、本尊は木造地蔵菩薩秘仏)。

同じ地区内にある常楽寺の「西寺(にしでら)」に対して、「東寺(ひがしでら)」と呼ばれている。常楽寺、善水寺とともに湖南三山の1つに数えられる。1月中旬には祭事の鬼ばしりが行われる。

歴史[編集]

創建の事情および時期については史料が乏しく定かでない。寺伝では、奈良時代天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇良弁に子宝の祈願をさせたところ皇女(後の孝謙天皇)が誕生した。そこで良弁がこもっていた阿星山中は紫香楽宮鬼門でもあるので、ここに鬼門封じと皇女の長寿を願い七堂伽藍24ヵ坊からなる勅願寺を建立して長寿寺と名付け、行基に作らせた子安地蔵を本尊としたという。

平安時代貞観年間(859年 - 877年)に本堂が焼失するがすぐに復興される。その後は、阿星山五千坊と呼ばれるほどの天台仏教園を形成した。

鎌倉時代には源頼朝が、室町時代には足利将軍家祈願所として諸堂を造改修したといわれる。当寺にも常楽寺同様三重塔があったが、織田信長によって安土城山中の摠見寺に移築された。楼門は栗太郡(現・栗東市)の蓮台寺(廃寺)に移設されたが現存しない。

境内の南側には隣接して鎮守社である白山神社が鎮座している。

境内[編集]

文化財[編集]

本堂[編集]

国宝に指定されている。寄棟造、檜皮葺き。桁行(正面)、梁間(側面)とも五間(ここでいう「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語)。建築年代を明確に示す史料はないが、蟇股(かえるまた)の様式などから平安時代最末期ないし鎌倉時代初期(12世紀)の建立と推定されている。平面構成は、手前の梁間2間分を外陣(げじん、礼堂(らいどう)ともいう)、その奥の梁間2間分を内陣、奥の梁間1間分を後戸(うしろど)とする。堂正面には三間の向拝を付すが、これは貞治5年(1366年)の付加。外陣内部には柱が立たず、梁間方向に架け渡した3本の虹梁(こうりょう)で屋根荷重を支えている。虹梁上の蟇股の形態は古様で、本建物を平安時代末期の建立と推定する根拠の一つとなっている。天井は外陣、内陣、後戸ともに化粧屋根裏(天井板を張らず、垂木をそのまま見せる)とする。内外陣境は格子戸で区切り、内陣は窓のない暗黒の空間である。内陣にある春日厨子文明12年(1480年)の造営。後世の改造が少なく、小屋組(屋根裏の構造)も含めて中世初期仏堂の形態を今に残す貴重な建物である[1]

国宝[編集]

  • 本堂(附 厨子1基) - 解説は既出。

重要文化財[編集]

滋賀県指定有形文化財[編集]

湖南市指定有形文化財[編集]

  • 石造多宝塔

所在地・アクセス[編集]

〒520-3111 滋賀県湖南市東寺619

駐車場

普通車10台、大型車7台

  • 開門時間 - 9時から16時
  • 拝観料 - 境内参拝自由、寺宝拝観500円(要予約)

周辺情報[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』80号(朝日新聞社、1998)pp.293 - 294

関連項目[編集]

外部リンク[編集]