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'''過 惕生'''(か てきせい、[[1907年]] - [[1989年]][[12月12日]])は、[[中国]]の[[囲碁]][[棋士 (囲碁)|棋士]]。[[安徽省]]出身。現代[[中国]]の初期囲碁界の代表的な棋士で、第1、5回[[全国囲棋個人戦]]優勝。[[聶衛平]]を育てた。 |
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2016年11月21日 (月) 15:53時点における版
過惕生 | |
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プロフィール | |
出生: | 1907年 |
出身地: | 北京市 |
職業: | 囲碁棋士 |
各種表記 | |
繁体字: | 過惕生 |
簡体字: | 过惕生 |
ラテン字: | Guo Tisheng |
和名表記: | か てきせい |
発音転記: | グオ・ティシェン |
過 惕生(か てきせい、1907年 - 1989年12月12日)は、中国の囲碁棋士。安徽省出身。現代中国の初期囲碁界の代表的な棋士で、第1、5回全国囲棋個人戦優勝。聶衛平を育てた。
経歴
1927年20歳の時に天津に出て、顧水如により段祺瑞に引き合わされ、上海に移る。1936年から北京に住み、中華人民共和国成立後は北京棋院副院長を務める。 1957年に第1回全国囲棋大会に出場して優勝。1960年から始まった日中囲碁交流にも出場。劉棣懐とともに「南劉北過」と呼ばれた。1964年の中国囲棋協会による段位制開始時には、最高段の五段に認定された。