「信仰主義」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
JWP (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
en:Fideism#Overview(13:59, 15 June 2015)の一部を翻訳
1行目: 1行目:
'''信仰主義''' は、[[信仰]]と[[理性]]は独立したものである、という[[認識論]]の学説である。信仰と理性は相反するものであり、特定の[[真実]]にたどり着くためには、信仰の方が重要であると主張される。{{Sfn | Amesbury | 2005}}
'''信仰主義''' は、[[信仰]]と[[理性]]は独立したものである、という[[認識論]]の理論である。信仰と理性は相反するものであり、特定の[[真実]]にたどり着くためには、信仰の方が重要であると主張される。{{Sfn | Amesbury | 2005}}


[[神学者]]や[[哲学者]]は、[[形而上学]]的な事柄、[[道徳]]、[[宗教]]的[[信念]]の真実を捉える際に、様々な方法で信仰と理性を考察してきたが、信仰主義は一般的に次の四人の哲学者に帰するとされる。 それはすなわち、[[パスカル]]、[[セーレン・キェルケゴール]]、[[ウィリアム・ジェームズ]]、[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]]である。信仰主義は反対論者によって否定的なイメージを付されることがあり、また、信仰主義にも多くの形態があるので、ある形態の信仰主義が必ずしも支持されるわけではない。 {{Sfn | Amesbury | 2005 | loc = [http://plato.stanford.edu/entries/fideism/#2.2 section 2.2]}} <ref name = Quinn2000>{{Citation | editor-last = Quinn | editor-first = Philip L | last = Taliaferro | first = Charles | year = 2000 | title = A companion to philosophy of religion | page = 376 | url = http://books.google.com/?id=9X-3sPj9m34C&pg=PA376 | isbn = 0-631-21328-7 | publisher = Blackwell | location = Malden, MA}}</ref>
[[神学者]]や[[哲学者]]は、[[形而上学]]的な事柄、[[道徳]]、[[宗教]]的[[信念]]の真実を捉える際に、様々な方法で信仰と理性を考察してきたが、信仰主義は一般的に次の四人の哲学者に帰するとされる。 それはすなわち、[[パスカル]]、[[セーレン・キェルケゴール]]、[[ウィリアム・ジェームズ]]、[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]]である。信仰主義は反対論者によって否定的なイメージを付されることがあり、また、信仰主義にも多くの形態があるので、ある形態の信仰主義が必ずしも支持されるわけではない。 {{Sfn | Amesbury | 2005 | loc = [http://plato.stanford.edu/entries/fideism/#2.2 section 2.2]}} <ref name = Quinn2000>{{Citation | editor-last = Quinn | editor-first = Philip L | last = Taliaferro | first = Charles | year = 2000 | title = A companion to philosophy of religion | page = 376 | url = http://books.google.com/?id=9X-3sPj9m34C&pg=PA376 | isbn = 0-631-21328-7 | publisher = Blackwell | location = Malden, MA}}</ref>

== 概説 ==
{{仮リンク|アルバン・プランティンガ|en|Alvin Plantinga}}は信仰主義を、「信仰のみへの排他的あるいは根本的な依存」であり、「その依存がゆえに理性が軽視され、哲学的あるいは宗教的な真実を追究するために利用される」と述べている。信仰主義者はそれゆえに「哲学的で宗教的な事柄においては、理性よりも信仰に依存することを促す」のであり、それゆえに理性の訴えを軽視することがある。{{Refn | Plantinga, Alvin (1983). "Reason and Belief in God" in Alvin Plantinga and Nicholas Wolterstorff (eds.), ''Faith and Rationality: Reason and Belief in God'', page 87. (Notre Dame: University of Notre Dame Press).{{Sfn | Amesbury | 2005 | loc = [http://plato.stanford.edu/entries/fideism/#1 section 1]}}}}信仰主義者は万物に共通する真実を探求する。そして理性はある種の真実には到達し得ず、それらの真実には信仰をもってのみたどり着くことができると断言する。{{Sfn | Amesbury | 2005 | loc = [http://plato.stanford.edu/entries/fideism/#1 section 1]}}プランティンガの定義は、信仰主義者が反対するのは「理性」それ自身ではなく、根拠がない信念は持つべきでないという{{仮リンク|証拠主義|en|evidentialism}}である、と言い換えることができるだろう。

=== 歴史 ===
主な記事:[[宗教と科学]]

=== 真理に関する理論 ===<!--ここの訳語やそれぞれの理論に関する説明が正当なものかどうか確信がありません。詳しい方がいましたら、修正をお願いします。-->
主な記事:{{仮リンク|真理に関する主な理論|en|Truth#Major theories }}

信仰主義の考えと一致する理論もあれば、根本的に信仰主義とは対照をなす理論もある。


* {{仮リンク|真理現実一致論|en|Correspondence theory of truth}}
信念や主張と現実を照らし合わせた際に、それが現実と正確に対応しているならば、その信念や主張は真理である。
* {{仮リンク|プラグマティズムの真理論|en|Pragmatic theory of truth}}
[[プラグマティズムの格率]]を、真理のような難解な概念の意味を分類するのに用いる。
* {{仮リンク|構成主義的認識論|en|Constructivist epistemology}}
世界と人間の精神は互いに独立している。我々が世界について持っている知識というものは、人間や社会による解釈に過ぎない。
* {{仮リンク|真理共識論|en|Consensus theory of truth}}
人々が一般的に正しいとする事柄が真理である。
* [[真理の整合説]]
ある命題が真であるかどうかは、その命題と他の命題群との整合性によって決まる。
* {{仮リンク|主観主義|en|Subjectivism}}
我々の知識は主観的であり、客観的な真理は存在しない。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2015年11月22日 (日) 13:33時点における版

信仰主義 は、信仰理性は独立したものである、という認識論の理論である。信仰と理性は相反するものであり、特定の真実にたどり着くためには、信仰の方が重要であると主張される。[1]

神学者哲学者は、形而上学的な事柄、道徳宗教信念の真実を捉える際に、様々な方法で信仰と理性を考察してきたが、信仰主義は一般的に次の四人の哲学者に帰するとされる。 それはすなわち、パスカルセーレン・キェルケゴールウィリアム・ジェームズルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインである。信仰主義は反対論者によって否定的なイメージを付されることがあり、また、信仰主義にも多くの形態があるので、ある形態の信仰主義が必ずしも支持されるわけではない。 [2] [3]

概説

アルバン・プランティンガ英語版は信仰主義を、「信仰のみへの排他的あるいは根本的な依存」であり、「その依存がゆえに理性が軽視され、哲学的あるいは宗教的な真実を追究するために利用される」と述べている。信仰主義者はそれゆえに「哲学的で宗教的な事柄においては、理性よりも信仰に依存することを促す」のであり、それゆえに理性の訴えを軽視することがある。[5]信仰主義者は万物に共通する真実を探求する。そして理性はある種の真実には到達し得ず、それらの真実には信仰をもってのみたどり着くことができると断言する。[4]プランティンガの定義は、信仰主義者が反対するのは「理性」それ自身ではなく、根拠がない信念は持つべきでないという証拠主義英語版である、と言い換えることができるだろう。

歴史

主な記事:宗教と科学

真理に関する理論

主な記事:真理に関する主な理論英語版

信仰主義の考えと一致する理論もあれば、根本的に信仰主義とは対照をなす理論もある。


信念や主張と現実を照らし合わせた際に、それが現実と正確に対応しているならば、その信念や主張は真理である。

プラグマティズムの格率を、真理のような難解な概念の意味を分類するのに用いる。

世界と人間の精神は互いに独立している。我々が世界について持っている知識というものは、人間や社会による解釈に過ぎない。

人々が一般的に正しいとする事柄が真理である。

ある命題が真であるかどうかは、その命題と他の命題群との整合性によって決まる。

我々の知識は主観的であり、客観的な真理は存在しない。

参考文献

  1. ^ Amesbury 2005.
  2. ^ Amesbury 2005, section 2.2.
  3. ^ Taliaferro, Charles (2000), Quinn, Philip L, ed., A companion to philosophy of religion, Malden, MA: Blackwell, p. 376, ISBN 0-631-21328-7, http://books.google.com/?id=9X-3sPj9m34C&pg=PA376 
  4. ^ a b Amesbury 2005, section 1.
  5. ^ Plantinga, Alvin (1983). "Reason and Belief in God" in Alvin Plantinga and Nicholas Wolterstorff (eds.), Faith and Rationality: Reason and Belief in God, page 87. (Notre Dame: University of Notre Dame Press).[4]