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2012年11月26日 (月) 16:18時点における版
- 第二次サウード王国
- الدولة السعودية الثانية
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← 1824年 - 1891年 →
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→(国旗)
第二次サウード王国の版図-
公用語 アラビア語 首都 リヤド - 君主
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1744年 - 1768年 トゥルキー・イブン=アブドゥッラーフ(初代) - 変遷
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成立 1824年 滅亡 1891年
第二次サウード王国は、1824年から1891年まで存在したイスラム国家である。
歴史
1818年に第一次サウード王国がオスマン帝国とエジプト軍によって滅ぼされた。
1824年、王族トゥルキー・イブン=アブドゥッラーフがリヤドに移って建国した。第一次サウード王国同様にワッハーブ派イマームが国王兼帯。
内紛が激しく、ナジュド北部のラシード家(en:Emirate of Jabal Shammar)に実権を奪われるようになる。
1891年、最後の王であるアブドゥルラハマーン・イブン・ファイサル・アル・サウードがラシ-ド家からの実権回復に失敗してリヤドを追われたために滅亡した(en:Battle of Mulayda)。
その後1902年にリャド奪還に成功した、クウェートに逃れていたアブドゥルラハマーン・イブン・ファイサル・アル・サウードの子アブドゥルアズィーズ・イブン=サウードにより、1932年にサウジアラビア王国が建国された。