「ロイヤル・オーク」の版間の差分

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{{otheruses|イギリス史に登場する樹木|}}
[[Image:Royal Oak, Boscobel.jpg|right|thumb|250px|upright|ボスコベル館にあるロイヤル・オークの」([[2007年]]撮影)]]
[[File:Boscobel - Royal Oak 2011.jpg|thumb|250px|枝の多くを失った「ロイヤル・オークの息子」([[2011年]]撮影)。現在は観光客の安全のために木製の柵が拡張されている]]
'''ロイヤル・オーク'''('''Royal Oak''')は[[清教徒革命]]中の[[1651年]]、当時の[[イングランド]]・[[スコットランド]]皇太子チャールズ(のちの[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]])が議会軍との戦いに敗れた後、彼らから逃亡する際に隠れた[[オーク]]の木に与えられた名前。
 
[[1642年]]に始まったイングランド・スコットランド・[[アイルランド]]の清教徒革命は[[1649年]]についに国王[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]](Charles I、[[1600年]][[11月19日]] - [[1649年]][[1月30日]])の処刑にいたった。このとき王子チャールズは亡命して[[オランダ]]にいたが、革命に反対する[[スコットランド]]が彼を王として推戴したのに呼応してスコットランドに上陸し、[[1651年]][[1月1日]]に戴冠式を行った(このとき国王位についたのはスコットランドでのみで、イングランド史上はいまだチャールズは皇太子)。しかしその後潜入した[[イングランド]]で議会軍に手ひどい敗北を喫し([[ウースターの戦い]]、1651年[[9月3日]])、逃亡を余儀なくされた。
 
王は王党派の残党とともに[[スタフォードシャー州|スタフォードシャー]]の[[ボスコベル館]]に逃げ込んだ。館の主は[[カトリック教会|カトリック]]だったため王らをかくまったが、議会軍の詮議はその館にまで及んだため、王は側近とともに大きなオークの木の枝の中に一晩隠れ、追手をやりすごした。この木がのちにロイヤル・オークと言われるものである。
 
その後[[フランス]]に亡命した王は[[1660年]]に王政復古を果たすが、その際、王の逃亡に力を貸した者たちに、子々孫々まで与えられる年金を与えたり、王冠とオークの木を組み合わせた[[紋章]]の使用を許すなどしてその忠誠に報いたという。
ボスコベル館に現在存在する樹齢200~300年のオークの木は当時の「ロイヤル・オーク」ではなく、その子孫と考えられていて「ロイヤルオークの息子 'Son of Royal Oak'」と呼ばれている。オリジナルのロイヤル・オークは17~18世紀に旅行者がお土産として枝を切るなどしたため枯れてしまったと言われている。
 
この「ロイヤル・オークの息子」は[[2000年]]の嵐で多くの枝を失い、大きなダメージを受けたため、翌[[2011]]になって[[チャールズ (プリンス・オブ・ウェールズ)|チャールズ皇太子]]の手でその横にもう1本のオークの苗が植えられることとなった。それは「ロイヤル・オークの息子」のどんぐりから育ったもので、まさしく「ロイヤル・オークの孫」と言うべきものである。
 
==外部リンク==
* [http://footguards.tripod.com/06ARTICLES/ART26_royal_oak.htm First Foot Guards: The Royal Oak]
* [http://www.shropshire-promotions.co.uk/L&P-7.html The Fugitive King]
* [http://www.btinternet.com/~warship/Feature/oak.htm The Leaking Wreck of H.M.S. Royal Oak]
* [http://www.royaloakday.org.uk Royal Oak Day]
 
{{DEFAULTSORT:ろいやるおおく}}
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[[Category:著名な木]]
[[Category:ウェスト・ミッドランズ (リージョン)]]
 
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