「沼津大空襲」の版間の差分
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'''沼津大空襲'''(ぬまづだいくうしゅう)は[[第二次世界大戦]]末期、[[アメリカ軍]]により[[静岡県]][[沼津市]]に対して行われた[[空襲]]である。 |
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[[1945年]]([[昭和]]20年)[[7月17日]]未明、[[米軍]][[B29]]の130機の編隊が[[海軍工廠]]や多くの中小軍事工場のある沼津市街上空に侵入し、[[愛鷹山]]と[[香貫山]]の[[高射砲]]が迎撃するも9077発、1039トンの[[焼夷弾]]を投下し9523戸が消失、274人が死亡した。米軍の記録によるとこの空襲により市の89.5%が破壊されたという。沼津市は[[サイパン島]]から[[富士山]]へ続くB29の本土空襲コースの真下にあたり、それ以前にも小規模な空襲や機銃掃射を受けており、それらを合計すると死者322人、重軽傷者634人、全半焼11756戸、全半壊127戸という被害だった。 |
[[1945年]]([[昭和]]20年)[[7月17日]]未明、[[米軍]][[B-29 (爆撃機)|B29]]の130機の編隊が[[海軍工廠]]や多くの中小軍事工場のある沼津市街上空に侵入し、[[愛鷹山]]と[[香貫山]]の[[高射砲]]が迎撃するも9077発、1039トンの[[焼夷弾]]を投下し9523戸が消失、274人が死亡した。米軍の記録によるとこの空襲により市の89.5%が破壊されたという。沼津市は[[サイパン島]]から[[富士山]]へ続くB29の本土空襲コースの真下にあたり、それ以前にも小規模な空襲や機銃掃射を受けており、それらを合計すると死者322人、重軽傷者634人、全半焼11756戸、全半壊127戸という被害だった。 |
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2005年11月30日 (水) 18:33時点における版
沼津大空襲(ぬまづだいくうしゅう)は第二次世界大戦末期、アメリカ軍により静岡県沼津市に対して行われた空襲である。
1945年(昭和20年)7月17日未明、米軍B29の130機の編隊が海軍工廠や多くの中小軍事工場のある沼津市街上空に侵入し、愛鷹山と香貫山の高射砲が迎撃するも9077発、1039トンの焼夷弾を投下し9523戸が消失、274人が死亡した。米軍の記録によるとこの空襲により市の89.5%が破壊されたという。沼津市はサイパン島から富士山へ続くB29の本土空襲コースの真下にあたり、それ以前にも小規模な空襲や機銃掃射を受けており、それらを合計すると死者322人、重軽傷者634人、全半焼11756戸、全半壊127戸という被害だった。