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2011年1月31日 (月) 07:56時点における版
有馬 氏久(ありま うじひさ、元禄12年(1699年) - 明和8年2月26日(1771年4月10日))は、江戸時代の大名。伊勢西条藩の第2代藩主。氏倫系有馬家2代。
紀州藩の家臣・渡辺泰綱の男。正室は堀親賢の娘。子に有馬氏房(次男)、娘(有馬光隆正室のち黒田直亨正室)、娘(倉橋久知室)。養子は有馬光隆、有馬氏恒。官位は従五位下、備後守。
初代藩主・有馬氏倫の養嗣子となって徳川吉宗に仕え、享保20年(1735年)の氏倫の死去により後を継いで藩主となった。元文5年(1740年)には大番頭となる。宝暦8年(1758年)に大番頭を辞し、翌年6月2日に家督を養嗣子の氏恒に譲って隠居した。最初に養子とした光隆は、寛延2年(1749年)に廃嫡している。明和8年(1771年)2月26日、73歳で死去。法号:賢道。