「ペカフヤ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
14行目: 14行目:
{{DEFAULTSORT:へかふや}}
{{DEFAULTSORT:へかふや}}
[[Category:古代イスラエル・ユダの君主]]
[[Category:古代イスラエル・ユダの君主]]
{{history-stub}}
{{history-stub}}{{Judaism-stub}}{{christ-stub}}


[[ca:Pecahià]]
[[ca:Pecahià]]

2010年8月7日 (土) 00:54時点における版

ペカフヤは、北イスラエル王国第17代の王である。名前はヘブライ語で「ヤハウェは目を開いた」という意味である。

治世

紀元前741年に父メナヘムの死去に伴い、北イスラエルの王に即位した。彼は父メナヘムの親アッシリヤ政策を継承したが、2年後に反アッシリヤ派の侍従ペカに、アルゴブとアルエと共に殺害された。

ペカフヤはダンとベテルで偶像礼拝を国策として推進した。預言者ホセアはペカフヤ時代の偶像礼拝を非難している。

参考文献

  • 「新聖書辞典」いのちのことば社、1985年
  • サムエル・シュルツ「旧約聖書概観」、1974年
先代
メナヘム
北イスラエル王国の王
第17代:前741年 - 前739年
次代
ペカ